腰痛のため石巻でのボランティアをやすんで,気仙沼までいくことにした. 気仙沼の中心部は石巻にくらべるとせまい. そのため,津波の被災地をひとめぐりすることができた. 津波をかぶったあと,夜間に気仙沼のまちがもえている写真は目にやきついている. しかし,現地でみてみると被害は石巻よりはかるいようにみえる. まるやけの船はいまものこっていたが,まちなかの火災はそれほど延焼していないようにみえた. 原形をとどめている建物は石巻の海岸付近よりはおおい.
石巻とちがって駅前に問題はない. ここは海岸からはなれている. 駅のちかくにはちいさなスーパーマーケットがあり,食料は充分にあるようだった. 場所がら海産物の棚はおおいが,ほとんどは海外からきたものだ. 産地がきちんと表示されているが,中国,ロシア,ノルウェー,インドネシア,その他さまざまだ.
すぐに被害がおおきかったほうにちかづこうとかんがえたが,道をまちがえて,あまり被害をうけていない 26 号線 (東浜街道) をあるいていった. やがて南気仙沼方面にいく道があるので左折する.
まもなく大川という川があるが,大川のなかには,いまもながされた家や車がそのままある. 橋からみえる範囲だけで,3 軒の家が川のなかにあった. 石巻とは地形がちがうので被害のかたちもちがっているということだろう. しかし,それにしても石巻よりはかたづけがすすんでいないという印象をうける. 石巻より自衛隊の数がすくないためかもしれない.
大川の入口には通行止めの看板があったが,くるまは自由にではいりしているようにみえた, ひとが橋にむかっていくのはみえなかったが,たぶん通行してよいのだろうとかんがえて,わたっていった.
あとでわかったことだが,おなじように通行止めの標識があっても,場所によって 2 種類の意味があるようだ. ひとつは 「通行禁止」 つまり自衛隊などが作業中なので,はいってはいけないという意味だ. もうひとつは 「通行するなら自己責任で」 という意味だろう. この場合は,通行してもとめられることはない. 津波の被災地では行政が通行者すべての安全を確保することはできない. 通行止めの場所にかぎらず,たおれかけた家や電柱・信号機などがあるが,それらから通行者地震が身をまもらなければならない. もちろん,通電された切れた電線や,すぐにたおれそうな電柱や信号機は,すでにかたづけられているが…
橋の西側の被害はかぎられているが,東側はくるまがつみかさなっている場所もあり,すめなくなった家もある. しかし,まだ住める家をかたづけているひともいる. ほこりをはらっているので,あわててマスクをとりだした. しかし,あとからかんがえると,雨がすこしふったこともあって,ここ以外の場所ではマスクが必要とはおもえなかった.
気仙沼線のところはすこし土を盛ってあるが,それでも津波をかぶっているようだ. 気仙沼船の下をくぐっていくと,さらに被害がひどい地域にいきついた.
1/4 くらいの建物はのこっているが,のこりの建物はとりのぞかれたり,こわれたままになっている. 火災にあったことがあきらかな建物もいくつかあるが,あまりみかけない. たぶん,そういうガレキはすでに処分されたのだろう. しかし,ひろい範囲にわたって建物が焼けたり,なくなっていたりするところはみられなかった. 火災はだいたい局地的におさまったということだろう. 地震と火災に関しては阪神淡路大震災の時代・場所とくらべると,つよかったということだろう. 保険会社もそれにあわせて保険料をきめていただろうから,この津波被害にはとてもみあわないだろう.
漁港は石巻にもあるが,漁船の被害は気仙沼のほうがおおきいのだろう. 陸上にうちあげられた船の数は気仙沼のほうがはるかにおおいようにみえる. このみなとのちかくだけで,大小あわせて 10 隻以上あっただろう. ほかに,大川付近などにもあった. また,火災でやけただれた船も 5 隻以上あった. しかし,一方で無傷の漁船も多数あった. 沖ににげていたものもあったのかもしれないし,震災後にここにきたものもあるのかもしれない. 漁港にはこどもがつくったような,こいのぼりが多数はためいていた. どこかの小学校でつくって,ここにおくられたものかもしれない.
みなとには観光船がやってきて,しばらく停泊していたが,まもなくでていった. みなとのちかくも津波にやられているが,一部をのぞいては浸水だけですんでいる. このあたりではボランティアのすがたをよくみる. あいさつをかわしたことも何回かあったが,きょうはやすんでいるので,なんとなく気がひける.
わかい夫婦があるいているのと,一眼レフをもった男性が写真をとってあるいているのをみた. また,観光船からでてきたひとたちはいた. しかし,それ以外は一般人があるいているのをほとんどみなかった.
これでだいたい,まちの中心部をひとまわりしたので,駅にもどることにした. 石巻でもそうだったが,ここでも商店街のなかで,赤丸のうえに 「がんばろう気仙沼」,「がんばろう宮城」 などと書いた布をしばしばみた. 14:26 の列車で気仙沼をあとにした.
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