第 2 の提案は,``計算'' をおこなうシステムを自己組織系として,あるいは単にシステム としてみようということである.つまり,コンピュータをふくむ ``システム'' やソフトウ ェアをシステム論的にとらえようということである.計算をおこなうのが計算システムま たはコンピュータ・システムであるならば,それをシステムとしてみるのは当然のことだ とみえるであろう.しかし,コンピュータ科学においては,通常,システムということば がサイバネティクス [Wie 61] や一般システム理論 [Ber 68] などのシステム理論におけるよ うな意味ではつかわれていない.そのことは,これらのシステム理論において非常に重要 なフィードバックの概念がコンピュータ科学においてはつかわれないことからもわかるで あろう [*1].
計算をシステムとしてみようという提案をする理由は 2 つある.第 1 の理由は上記の提案 のなかの「自己組織」の部分には直接関係がないが,計算の観測と制御のための基礎理論 はシステム理論にほかならないということである.第 1 の提案における ``プログラミング '' によらない ``計算'' においては,計算の観測と制御のためのしかけが必要であるという ことはすでにのべた.計算プロセス (過程) の観測と制御のための理論というのはまだ存 在しないとかんがえられるが,工業プロセスやその他のさまざまなプロセスの観測と制御 のための理論はすでにあり,その基礎となっているのはシステム理論である.したがって, 計算プロセスの観測と制御のためにもシステム理論的なもののみかたが基礎になり,とく に前述のマクロ・モデルは計算のシステム理論からうみだされるとかんがえられる.ミク ロ・モデルによって支配されたプログラムによって部分的に制御されたシステムは,それ だけでは人間の意図する計算をおこなわないかもしれない.しかし,さらにマクロ・モデ ルにもとづいて観測とその結果にもとづく制御を外部からうけることによって,意図され たとおりの計算をおこなうことができると期待される [*2].
計算の観測と制御において重要なことのひとつは (自己) 安定性である.システム哲学者 Laszlo [Las 72] は自然のシステムの重要な特性のひとつは自己安定性だとしている [*2a] が,シ ステム理論にもとづいてつくられた人工のシステムたとえば工業プロセスの制御システム などにおいても自己安定性は不可欠である.ところが,計算システムには自己安定性がな いとかんがえられる.些細なバグが致命的な結果をまねくのは,この性質がないためだと かんがえられる.自己安定性がないのは,計算システムがシステム理論にもとづいておら ず,システム理論においては常識となっている負のフィードバックといった概念を適用す ることができないためだとかんがえられる [*3].
第 2 の理由は上記の提案のなかの「自己組織」の部分に直接関係するが,これまでころさ れていた自己組織化能力を計算システムに期待するならば,計算システムを自己組織系と してみることが重要だということである.Laszlo は自然のシステムの重要な特性のひとつ は自己組織性だとしている [Las 72] [*4].閉鎖系においては,あらかじめ最適な点をもとめて おいて,システムの状態がそこからはずれれば負のフィードバックによって最適点にもど すようにすればシステムをのぞましい状態にたもつことができる.しかし,開放系におい ては外部環境からどのような入力や間接的な影響があるかがわからないため,あらかじめ どこが最適点になるかがわからない.したがって負のフィードバックによる制御だけでは システムをのぞましい状態にたもつことができない.たとえば,システムがこれまでとど まっていた安定点からゆらぎによってはずれることによってよりよいものにめぐりあった ときには,ゆらぎに対して正のフィードバックがかかるような機構 (自己組織性のひとつ のかたち) が必要であろう.生物や社会システムなどの自然のシステムは,このような状 況に対処できる自己組織性をもっている.計算システムにおいても,それが開放系である ならば,なんらかのかたちで自己組織性をもつことは必須であろう.現在はシステムの構 成要素としての人間が自己組織化すなわちシステムの改善や再構築をおこなっているが, それだけでは十分には対処できない.計算システムを構成するソフトウェアにも自己組織 化の能力がそなわっているべきであろう.このように外部からの入力や影響に適応して動 作する計算システムを適応的な計算システムとよぶことができるだろう.
すでにのべたように,自己組織化はミクロなレベルとマクロなレベルのからみあいからお こる.それを説明するのが計算のシステム理論のはずである.すなわち,計算のシステム 理論は物理,生物,社会学などの自己組織化の理論からまなんで,前述のミクロ・モデル とマクロ・モデルのあいだにおこりうるからみあいをあきらかにし,適応的な計算システ ムを構成するための基礎をあたえるであろう.
計算のシステム理論はまだどのような理論になるのかほとんどわからない.しかし,この 理論をつくっていくための作業仮説として,自己組織系のひとつのモデルをしめそう.こ のモデルは金田 [Kan 92] がすでに提案しているものだが,ここでも必要最小限の説明を くわえておく.
自己組織系の基本モデルとして図 2 のようなものをかんがえることができる.このモデル があらゆる自己組織系にあてはまると主張することはできないだろうが,われわれが対象 としようとしている情報の自己組織化をおこなうシステムをはじめとして,散逸構造をう みだす熱力学系やその他のさまざまな自己組織系のモデルとなっているとかんがえられる.
このモデルにおいて,システムは時間とともに変化する.システムに対して,秩序の指標 としてのエントロピーまたは (大域) 秩序度が定義されている.エントロピーが定義され ているばあいには,それは時間とともに減少する.秩序度が定義されたばあいには,それ は時間とともに増加する.熱力学系のばあいには,第 2 法則をみたしつつエントロピーを 減少させるためには,エントロピーを外界にすてなければならない.したがって,システ ムは開放系でなければならない.このような法則が存在しないシステムにおいては,(こ の要請だけをかんがえるかぎりは) かならずしも開放系でなくてもよいであろう.
また,ここにはシステムの変化のしかたを支配する規則あるいは法則が存在するはずであ る.ここで規則あるいは法則といっても,それはシステムの動作を決定論的にきめるもの ではない.この規則・法則が課する制約のもとでもシステムは非決定的・自律的に動作し, 自己組織化する.したがって,規則・法則にもとづく動作という面を中心にとらえれば自 己組織系を動力学系 (dynamical system) としてとらえることができるだろうし,非決定的 な動作という面を中心にとらえれば確率過程としてとらえることができるだろう.散逸構 造をうみだす熱力学系のような自己組織系を解析するには,動力学系としての面と確率過 程としての面を両方とらえる必要があることがしめされている [Pri 77] [Hak 78] [*5].
[→ 次章]
[*1]
西垣 [Nis 88] はコンピュータの性能の制御に自動制御理論をつかおうとしたが失敗し
た,プログラムとはフィードバックのきかないシステムなのだとかいている.
(10/14/94 追記) 西垣が失敗した理由はこの本にはかかれていないが,おそらく,
記号には位相 (記号間の距離のようなもの) が定義されていないことが本質的に
きいているのだとおもわれる (脚注 [*3] 参照).
[*2] このばあい,もしもマクロ・モデルがまちがっていれば意図された計算をおこなうこ とはやはりできないが,マクロ・モデルのほうがミクロ・モデルより直接的に人間の意図 を反映したものであれば,このような可能性ははるかにすくないとかんがえられる.
[*2a] (10/12/94 追記) 金田 [Kan 92] の記述を参照
[*3] (10/12/94 追記) 自己安定性のないシステムは柔軟性がないとみなすことができる. RWC がめざす やわらかな計算には 自己安定性が必要だとかんがえられる.そのためにはソフトウェアにもシステム理論的な かんがえかたをとりいれる必要があり,位相あるいはメトリック的なもの -- すなわちパタン的なもの -- を導入する必要があるというのが著者の主張である. いいかえれば,それは RWC がめざしている記号処理とパタン処理の統合がここでも 必要だということである (脚注 [*1], 第 2 章の脚注 [*7] 参照).
[*4] Laszlo [Las 72] は,ここでとりあげた自己安定性と自己組織性のほかに自然のシステ ムがもつ特性として全体性 (非還元性) と階層性をあげている (金田 [Kan 92] の 記述を参照). 彼の理論は計算のシステム理論を 構築するうえでおおきな示唆をあたえているとかんがえられる.
[*5] (10/14/94 追記) ただし,確率過程においては非決定性を確率として限定してみることになる. ここでいう非決定性は確率としてはあらわされないものをふくんでいることを留意する 必要がある.また,システムを動力学系としてとらえるときにも,このモデル化によって うしなわれるものがあるかどうかに留意する必要がある.