文章やプレゼンテーション資料を他人に理解してもらうときはわかりやすく書くのがいいにきまっています. しかし,自分のためのメモはどうでしょう? あとから自分で読んでわからないものでは論外ですが,わかりやすさが最優先というわけではないでしょう. 文章を書く目的がひとのためでもあり自分のためでもあるというばあいがあります. 私についていえば,たとえばブログを書くとき,あるいは会社であまりおおくのひとが読んでくれそうもない研究報告を書くとき,むしろ 「自分のため」 を意識して書いています. (このブログもどれだけのひとがみているのか,しらべていませんが,すくなくともコメント/トラックバックをくれたのはまだひとりだけのようです -- スパムがおおいので,みのがしてしまったものもないとはいえませんが.)
よみやすさを重視するなら,あまり脚注を多用するのはよくないといわれています. しかし,私は 「自分のため」 の文章をかくときには脚注を多用しています (ただし,ブログのときは脚注がかきにくいので,通常はこのように括弧にいれるかたちをとります). こまかいことでも,あとで重要になるかもしれないことがいろいろあります.それをできるだけ脚注として書いておくわけです.
また,よみやすくするには箇条書きや図表を多用するとよいといわれます. 箇条書きや図表は複雑な論理を排除して単純化するしかけですから,それによってよみやすくはなります. ▼自分であとでみるときに,それで複雑な論理をおぎなえるのなら,箇条書きにするのもよいでしょう. しかし,まず図表は書くのにてまがかかるので,あまりよいとはおもわれません.自分でみるのなら箇条書きで十分です. ▼また,これらの手段をつかうことによってうしなわれる微妙な論理が重要なばあいには,あとで論理をきちんと追えるように,論理的な文章で書いておくのがよいでしょう. ▼折衷案としては,箇条書きにはするが,そのなかにもとの論理をのこしておくという方法もあります. 折衷案という意味は,最初に書いたように文章は自分のためと同時にひとのために書くので,ひとが読んで理解しやすいということにも配慮した方法をとる必要があるということです. ただし,もとの論理は箇条書きという形式 (つまり単純な並置や列挙の形式) と矛盾するので,混乱する可能性もあります.