イベント・プロデューサーである 平野 暁臣 は 「コトづくりの眼」 (日本実務出版, 2005) という本のなかでつぎのように書いています.
「93 年に韓国の大田 (テジョン) で国際博が開かれた. [中略] カナダ館は,100 人定員のプレショー & メインシアターを 1 時間に 2 回転させているだけだ. 中身はよくできていたが,なにしろキャパシティがあまりに小さい. 延々何時間も入場を待たせている. よくこんなプランが通ったものだ,というのが最初の率直な印象だった.」
「開幕後しばらくして,ぼくはカナダ館のスタッフにこの疑問をぶつけた. すると予想に反して,彼は誇らしげにこう言ったのだ. 『たとえ数は少なくとも,高いミツドで訴求する道をあえてカナダは選んだ. いくら多くの来場者を迎えても,確実にメッセージが伝わらなければ意味がない. 計画通りだ』」
これを読んで私がおもいだしたのが愛知万博の日立館です.
愛知の日立館は大田のカナダ館ほどすくない人数しかいれなかったわけではありません. しかし,たぶん入場を希望する人数がずっとおおいため,5 時間まちというような状態になっていました. 愛知万博に家族ででかけたとき,開場 30 分前に会場について日立館をめざしたにもかかわらず,この状態でした. 私はこの状態をみてすぐにあきらめたのですが,説得したにもかかわらず,こどもはすぐにはあきらめず,しばらく列にならんでいました. 列にならんだまわりのひとからも説得されて,ようやくあきらめました.
日立館のとなりにはトヨタ館があり,もっとおおくのひとを入場させていたので,なぜもっとおおくのひとがはいれる設計にしなかったのか,と私はおもいました. しかし,いま,それは大田のカナダ館にちかいポリシーだったのだとあらためて気づきました. ただし,日立館のばあいは観客にメッセージをつたえること以外にも,ユビキタスの実験をするという目的もあったので,そこはカナダ館とはちがっていたのだとおもいます.