2000 年前後にベルリンでは建設ラッシュがつづいていました. そこをしばしばおとずれていたことをイベント・プロデューサーである 平野 暁臣 が書いています. 私も 1999 年にベルリンにいったときのことをおもいだしました.
平野は 「コトづくりの眼」 (日本実務出版, 2005) という本 (76 ページ) のなかでつぎのように書いています.
このところ何度かベルリンを訪れている. 欧州出張の帰りに立ち寄っているのだが,仕事ではない. わざわざ寄り道していたのは,急ピッチで改造が進むベルリンの街を 「定点観測」 してみたいと思ったからだ.
この文章は 2002 年 11 月に書かれたということですが,私は 1999 年にベルリンに出張しました.
このころがベルリンの建設ラッシュがはじまってまもなくだったようです.
この建設ラッシュに私もつよい印象をうけました
(写真は Photo:berlin building から引用しました).
ラッシュはおもに東ベルリンと,西ベルリンのブランデンブルク門にちかい部分ですすんでいました.
壁の崩壊からほぼ 10 年のころです.
建設ラッシュがその後つづいて,東ベルリンはいまではすっかりかわっていることでしょうが,当時はまだ東ベルリンにはふるい建物がおおくのこっていました.
西ベルリンではかんがえられない,第二次大戦のときの弾痕がのこった建物がまちなかにありました.
ブランデンブルク門ちかくの広場にはいまでも記念に弾痕のある建物がのこされているはずですが,それ以外はたぶん,たてかえられるか,改修されているとかんがえられます.
こういったことをおもいだしながら,平野の文章を,なつかしく読みました.