本や雑誌記事はリファレンスとしてあつかうことができます. つまり,(理想化されてはいますが) タイトルや出版社,発行年月などを指定して参考文献として引用しておけば,いつでももとの本や記事にアクセスすることができます. これに対して,それらと同様に重要なメディアであるにもかかわらず,テレビ番組はリファレンスとしてあつかうことができません. ここに放送がかかえる致命的な問題があるようにおもわれます.
テレビ番組をそのタイトルや放送日・時刻を指定することによって識別することはもちろん可能です. しかし,本や雑誌が図書館にいけば参照できるのに対して,テレビ番組は通常,参照する方法がありません. 運がよければ放送局にはテープやフィルムがのこっているかもしれないが,通常はそれをみることはできません. また,おおくの番組はテープもフィルムものこっていません.
WWW 上のテキストやビデオは正式にはリファレンスとしてあつかえないという点ではテレビ番組とおなじです. しかし,すくなくともそれらにリンクをはることはでき,はられたリンクは,時間がたてばリンクぎれするかもしれませんが,すくなくともしばらくは参照可能です. したがって,WWW は “疑似リファレンス” としてあつかえるということができるでしょう. そのため,論文などにおいても,リファレンスしかのせられないはずの参考文献において URL (アドレス) があげられていることがおおいのです. 論文のような参照上の厳密性がないブログや他の Web ページでは,リンクがもっと積極的につかわれます. 佐々木俊尚は 「TV 2.0 への道のり」 というブログのなかで,つぎのように書いています (第2回 ニコニコ動画が示した 「ネタ視聴」 の新たな可能性).
YouTube の出現は,動画コンテンツの世界に決定的な変革をもたらした. といっても,YouTube によってテクノロジーが進歩したというのではない. そうではなく,YouTube は動画コンテンツには 『じっくり視聴』 と,『ネタ視聴』 という二つの鑑賞方法があることを,くっきりと提示して見せたのである.
動画コンテンツのメタデータを軸にしたビジネスを展開しているメタキャストの橋本大也 COO (最高執行責任者) は,次のように話す. 『 [中略] YouTube の動画は,mixi や MySpace で話題になったことで視聴されるケースがきわめて多く,コミュニケーションを媒介にして動画は見られるようになっている』.
これは YouTube (ユーチューブ) のような Web 上の動画とくらべてテレビには致命的な問題があることをしめしているとおもわれます. たしかにテレビを単に受動的にみているかぎりは,リファレンスとしてあつかえないことはとくに問題にはなりません. しかし,Web 2.0 の時代には既存の知識にあたらしい知識をつみかさねたり,既存の知識をあたらしい知識に発展させていくことがこれまで以上に重要であり,そのためには既存の知識に容易にアクセスできることが重要です. テレビ番組をそういうサイクルにとりいれらることができないとしたら,それは致命的といってよいのではないでしょうか?