大阪万博は “イベント” をなりわいとするひとにとっては非常におおきな意味をもつものであり,それ以降の仕事のやりかたにおおきな影響をあたえたものだったようです. 最近読んだいくつかの本でそれを知りました. 私自身も中学生のときに大阪万博にいきましたが,そこまでの影響はうけなかったとおもいます.
イベント・プロデューサーである 平野 暁臣 は 「コトづくりの眼」 (日本実務出版, 2005) という本のなかで,大阪万博についてつぎのように書いています.
「あれほどのエネルギーをもち得たイベントは,結局出現しなかった.」 (p. 69)
「日本のイベント界に近代化をもたらしたのは,1970 年の 「大阪万博」 である. このときを境に,専門化・分業化した職能を束ね,システムとしてイベントをつくるようになった. 大阪万博は,イベントにかかわる様々な専門職能を生み出し,その人材を育て,制作マネジメントのシステムをつくった. つまり,このときからイベントは 「産業」 になった.」 (p. 58)
また,真木勝次は平野との対談集 「イベントの底力」 (日経 BP, 2002) という本 (p. 35) のなかで,大阪万博で長蛇の列をつくらせた月の石についてつぎのように書いています.
「あれだけの動員力のあるプログラムというかコンテンツ,これが [いまは] ない」
(この対談で平野は月の石と同様に集客力があったものとしてパンダをあげています.)
大阪万博には,月の石に代表される魅力ある 「モノ」 と,それまでになかった大規模なイベントという魅力ある 「コト」 の両方があったということでしょう (写真は fukafuka's photo blog から借用しました).