Linux 上でプログラムを開発するようになってから,ほぼ 10 年になります. 最初のころに,まず Perl と CGI (Common Gateway Interface) をおぼえて,それをずっとつかってきました. そのころはディストリビューションとして Slackware をつかっていましたが,Linux のインストールもいまよりずっと手がかかり,トラブルも多発していました. また,カスタマイズにももっと手をかけていました. いまは Fedora Core (まだ Fedora 7 ではない) をつかっていますが,手がかからなくなり,それとともにカスタマイズにも時間をかけなくなりました. 今年 3 月には 20 台くらいの Linux マシンをならべて,ほとんどひとりで設定して実験しましたが,PC に関してはおおきなトラブルもなく完了することができました. つかいかたはずいぶんかわりましたが,Linux がプログラミングと実験のプラットフォームとして手ばなせないということでは,10 年前もいまもかわりません.
上記のように最初につかったのは Slackware でしたが,インストール時にいろいろ入力しなければならないので,ほとんどつきっきりでインストールする必要がありました. ビデオカードやディスプレイの設定にはかなりの注意をはらう必要がありました. ディスプレイ関係をのぞくと,CD-ROM ドライブのようなデバイスも適切なドライバが用意されていないことがおおくて,ちゃんと動作するまでにいろいろてまをかける必要がありました. デバイスの追加や交換をしたときも自分でいちいちインストールする必要があり,まちがえるとカーネル・パニックをおこしたりして,おおさわぎになりました. 私のばあいは PC もメーカー品をつかうのはまれだったので,そのくみたてやトラブル・シューティングにも,いまよりずっと時間がかかりました. 百科事典検索の仕事をしていたときは音はあまり関係がなくて,でなくても気にしていませんでしたが,その後は音声通信をあつかうようになり,音がうまくでないことに泣かされました. しかし,右の写真のマシンは私が最初に買った Pentium 100 MHz のマシンですが,これが当時つかっていた Sparc Station 5 より高速なので感動したものです.
当時はかなりカスタマイズが必要でした. いまはほとんど Happy Hacking Keyboard (ハッピー・ハッキング・キーボード) をつかっているのでキー配置はデフォルトのままでつかえますが,当時は通常の ASCII Keyboard (アスキー・キーボード) をつかっていた (日本語キーボードは当時もいまも,すくなくともデフォルトのままでは私にはつかえません) ので,コントロール・キーとシフトロック・キーをいれかえるなどする必要がありました. 百科事典をあつかっていたときには,どうしても日本語をつかう必要があり,その設定にも時間をとられていました.
現在ではディストリビューションとしては Fedora Core をつかっています. つぎつぎにあたらしい版がでるので対応しきれていませんが,Red Hat 9 や Fedora Core 1, 3 は,けっこう長期間にわたってつかってきました. デバイスの追加や交換をしても,たいていは自動的にドライバをインストールしてくれます. 現在でもディスプレイを交換するとなにも表示されなくなることがあって,Windows のようにはいかないものかとおもってしまいますが,それ以外はほとんどハックする必要がなくなりました.
カスタマイズにもほとんど時間をかけなくなりました. キー配置を変更する必要もなくなり,日本語環境もだいぶ整備されました. それでも,エラーメッセージが文字化けしたりするので,なるべく英語で表示されるようにしています. このあたりは,どうしても Windows とくらべると,みおとりします. また,私にとってはプログラム編集のために不可欠なエディタである Emacs に関しては,いまだに,なかなか完全な日本語環境が実現できません. Emacs の日本語環境に関しては Windows のほうがさらに劣悪です.