小泉首相が辞任してから,もう 1 年以上がたちました. いまさらという感じはありますが,私の小泉首相に関するかんがえを書いてみようとおもいます. ひとことでいえば,小泉元首相はカリスマをもっていたが,自分でその危険もよく知っていたということです.
小泉元首相は在任当時,政治をドラマ仕立てで国民にみせ,カリスマ性を発揮してきました. 中曽根元首相も大統領型の首相といわれましたが,小泉のほうがはるかに大統領的にふるまってきました. あらかじめ党にも国民にも同意をえずに,国連にいってイラク派遣の自衛隊を多国籍軍にいれるというようなことまで,やってのけました.
2005 年の衆議院議員選挙では,郵政民営化をほとんど唯一の争点としてかかげて,2/3 をこえる議席を獲得しました. このときには,選挙前に自民党内の民営化法案反対勢力に対して,対立候補をたてて,徹底的につぶしにかかりました. それが成功して絶対多数を獲得すると,党内でも首相に反対できるひとはいなくなりました.
このような強引なやりかたは正統な民主主義的なやりかたとはとてもいえません. 反対派による小泉批判はある意味でただしく,当然のものだったとおもいます. しかし,日本がある意味で非常事態にあったからこそ,このようなやりかたが必要になったのであり,それがゆるされる状況だったと私はおもいます. 逆にいえば,通常の状態ではゆるされるべきでないということです. 当時はまだ 1990 年代の 「失われた 10 年」 からまだ完全には回復していない,したがって非常事態への対処がまだ必要だったとかんがえられます.
衆議院で絶対多数を確保したとき,小泉首相自身もその異常さを認識していた,つまり,そこで慎重にふるまわなければ,民主主義の危機をまねきかねないことを自覚していたとおもわれます. 勝利宣言のなかにも,自戒の念がこめられていたように,私にはきこえました. 小泉首相が辞任の時期をあらかじめ 2006 年 9 月とさだめて,そのとおりに実行したことも,危険を認識していたことのあらわれだとおもいます.
ほかの分野についてもいえることだとおもいますが,政治についても,いつも健全で紳士的なやりかただけをめざしていたのでは,実現できない目標があります. 小泉首相が実現してきた日本経済の回復や郵政民営化,道路公団の改革も,それぞれそういう目標のなかのひとつです. こういう問題を解決するために,小泉首相はかなり強引な手法をつかい,すべての問題についてではありませんが,成功をおさめました. そしてふたたび,もっと穏健な政治をおこなうべき時代がもどってきたというわけです.