日本の大学教員は論文数などの業績が諸外国にくらべてすくないといわれています. 業績をあげなくても大学教授をやめさせられないことにそのおもな原因をもとめる議論がさんざん,なされてきました. そのため,教員を評価する制度がしだいにとりいれられてきました. 地位が安定していることも業績がすくないひとつの理由ではあるのでしょうが,ほんとうにそれがおおきな原因なのでしょうか? すくなくとも,雑用がおおいことがおおきな原因になっていることは,まちがいないとおもえます.
私のしりあいには大学教授や准教授が多数います. そういうひとから話をきくたびにきかされるのは,雑用がおおくて研究の時間がないということです. 大学教員ならば講義には時間をとっているのでしょうし,大学院の学生の指導にも時間をさいているでしょう. それは雑用ではなくて大学教員の本来の仕事です. しかし,それらをのぞくと教授会,研究会,その準備,その他,経験のない私にはよくわかりませんが,さまざまな雑用に時間をとられているということです.
欧米をはじめとする諸外国の大学では,それらの雑用は職員や技官などのスタッフがこなすはずのものです. 「雑用のない生活」 でも日本とアメリカの大学を比較して,アメリカでは 「雑用がない」 と表現しています.
教員の評価を導入することも必要でしょうが,雑用をへらすくふうをしなければ,海外の大学教員と肩をならべる仕事をするのはむずかしいでしょう.