大澤 真幸 は 「不可能性の時代」 という本のなかで,オタクを分析しています. それによると,オタクは特殊なモノにこだわってそれを収集しているようにみえるが,実は普遍的なものをもとめているのだということです. この議論を読んでいて,龍安寺石庭をおもいだしました. 閉じられた石庭はオタクの庭なのでしょうか?
「蛙は,外にある 「大海」 (普遍的世界) を端的に知らないので,「井戸」 (特殊でローカルな領域) を,普遍的世界と勘違いしているだけである.」 「オタクが窓のない閉じられた個室を好む理由は,この文脈で理解可能になる.」 「特定の領域が,すでに普遍的な世界,ひとつの宇宙であるとすれば,彼らにとっては,より包括的なコンテクストはあってはならないし,またあるはずもない. つまりは,外へと通ずる窓はないのだ.」
龍安寺石庭はまさにそういう世界だとおもえるのです. そこからは,塀でかくされているために,そとの世界はみえません. 外部からきりはなすことによって,そこは閉じられた宇宙,普遍的な世界となっているわけです. 大澤はこんなことは書いていませんが,ちょっとした発見でした. (写真は Wikipedia の 「龍安寺」 の項から借用しました.)
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