きのう,NHK スペシャル 「戦場 心の傷(1)兵士はどう戦わされてきたか」 という番組をみた. かつてはベトナム戦争をたたかい,いまはイラクでテロリストとたたかうアメリカの歩兵たち,その訓練の様子や PTSD (心的外傷後ストレス障害) などがえがかれていた. 今後もアフガニスタンのテロリストとたたかわなければならないとしたら,兵士をおくらないようにすることによってこの問題を解決するということはできないだろう. そして,日本にとってもこれは無関係なできごとではないはずである.
歩兵は人間だが,戦車や飛行機とおなじようにそれじたいが兵器である. 歩兵の訓練は人間を人間のこころをもたない兵器にする訓練であることが,えがかれていた. つまり,アメリカ軍の訓練では人間を人間でなくするという,おそるべきことがおこなわれている. そして,兵役がおわったあとには,逆に人間にもどす訓練をするということである. (写真は NHK スペシャル のページ から借用しました.)
人間のこころをもっていると,銃のたまをうつことができなくなる. ベトナム戦争以前は 25% の兵士しか,たまうをてなかったが,訓練によってベトナム戦争ではそれを 2 倍にすることができたという. 敵を人間とみとめるまえに反射的に撃つように訓練する.
しかし,兵士はときに撃ったあとで相手をみてしまう. それが民間人だったらしいことを知ると,一生なやまされることになる. つまり,いくら訓練をうけても人間のこころがよみがえってくるのをふせぐことはできない. ベトナム戦争時におこったソンミ事件にかかわった兵士のなかには,何度も自殺未遂をくりかえしたのちに自殺したものもいるという.
ベトナム戦争当時には民間人を殺傷する事件がおこっても,戦争の遂行がさまたげられることはなかったが,現在ではひとりの兵士がおこした事件がおおきなさまたげになるという. そのため,民間人とテロリストを瞬時に識別する訓練がおこなわれている. しかし,それは兵士の負担をさらに増している.
日本人は太平洋戦争以来,こうしたきびしい状況を経験することがなかった. それが憲法第 9 条のおかげであることはまちがいない. しかし,9.11 後の世界のなかで,アメリカとの立場のちがいはあるにしても,日本もテロリストとたたかうことに賛成している. とすれば,たとえイラクでのたたかいが大量破壊兵器に関するまちがった情報にもとづいて開始されたのだとしても,こういうアメリカ軍の状況を無関係なものとしてとらえることはできないだろう.
アメリカもイラクからは手をひこうとしているが,アフガニスタンに関しては,アメリカも日本もこれまで以上にかかわっていく必要が生じている. そこでもふたたびこうした事態がおこってくる可能性がたかい. テロリストがたたかうべき相手であるとするなら,それを完全にさけるのはむずかしい. それを日本人はどうかんがえ,どう対処するべきなのだろうか?