太平洋戦争によって日本はアメリカにひどくいためつけられた. しかし,そのアメリカが戦後たたかってきたソ連の脅威を,戦前にただしく把握し,たたかったきたのは日本である. 当時それをアメリカがただしく認識していなかったことが太平洋戦争をまねいた原因のひとつなのではないだろうか?
日本は明治維新後,英米に対抗するのと同時に,ロシア/ソ連を脅威ととらえて,たたかってきた. 日露戦争においてはかろうじて勝利することができたが,その後もロシアへのそなえが日本外交のひとつのはしらになっていた.
日本がロシアを脅威ととらえているのに対して,朝鮮がロシアにあまい態度をとっていたことが,朝鮮併合につながったということができる. 強引に朝鮮を併合するのが朝鮮にとってよかったとはいえないが,日本にとってはそれがロシアに対抗するために必要なことだったのではないだろうか.
ロシアで革命がおこったあとも,日本はその脅威をさけるために,さまざまな手段をとってきた. 満州国をつくったことも,ソ連に対抗することが目的のひとつだったといえるだろう. 日本は国内においても,親ソ勢力に対してきびしい弾圧をくわえてきた. 小林多喜二をふくむ共産党に対する弾圧もそのひとつである. 弾圧の方法はともかくとして,共産主義に対するきびしい政策は,ソ連の脅威に対するただしい理解ゆえにおこなわれてきたのではないだろうか.
中国においても,日本軍は当時は親ソ勢力だった共産党とたたかっていた. 満州国をつくり,さらに南方を侵略したことによって,日本は国民党政府とも対立したし,国際連盟から脱退する原因にもなった. しかし,国民党政府を敵とすることは,かならずしも日本の意図したことではなかったといえるだろう.
英米は戦前,ソ連に対してはむしろ,ゆるい態度をとってきた. それは,当時,ソ連よりもドイツがイギリスにとって脅威だったからである. 英米によって日本が経済封鎖の対象とされ第 2 次対戦において敵とされたのも,日本がドイツと同盟関係にあったことがおおきな理由である.
ドイツの脅威がとりのぞかれたあと,アメリカおよび他の資本主義国の最大の脅威となったのはほかならないソ連である. ソ連との冷戦は,ベルリン危機やキューバ危機のような核戦争寸前の状態をまねくとともに,ベトナム戦争をはじめとするいくつもの悲劇を生んだ. そして,ソ連が自滅するまで,アメリカや他の資本主義諸国は冷戦に勝利することができなかった. そのソ連の脅威と戦前,最前線でたたかっていたのは日本である. 戦前の日本の対ソ政策を英米がただしく評価していれば,もしかすると第 2 次大戦の構図はもっとちがっていたのではないだろうか?