最近は非正規雇用者の仕事がうしなわれるだけでなく,正規雇用者までもが失業する危険がふえてきている. そういうなかで,ワークシェアリングがすすめられるようになってきている. 私は研究者であり,研究はワークシェアリングなどできないとかんがえてきたが,もうすこしちがった見方もできることに気がついた.
研究という仕事のもっとも創造的な部分をワークシェアリングによって他人にまかせるというのはナンセンスである. 自分よりすぐれた研究者にわたすのであればありうることだが,おおくのばあい,それは私自身にしかできない.
しかし,私がやっていることすべてがそういう創造的な仕事であるかというと,そうではない. むしろ,日本におけるこれまでのやりかたは,雑用までふくめて大半のことを自分自身でやるというやりかただ. それに対してアメリカなどをみれば,研究者が専門としない仕事のために専門のスタッフがいることがおおい.
私は企業人だが,スタッフの数がかぎられているのは大学などでもおなじだ. 私の知人のなかには大学の教員もおおいが,たいていは雑用におわれている. むしろ,これまで教育研究費は圧縮されて,スタッフは徐々に削減されてきた. つまり,ワークシェアリングとは逆のことがおこってきたということだ.
私がもしワークシェアリングを推進することができるとしたら,それは自分に科せられた雑用を拒否することをおいてほかにはないとおもう. それに気がついて,最近はそれを実行しようとしてもいるのだが,おもうようにはいっていない.