2 週間ほどまえのことだが,こどもの卒業文集のために私もみじかい文章を書いた. こどもの学校生活のうち私が知りえた部分をふりかえったものである. 家族にみせるといくつか異論がでたが,結局,それもそんなに根拠があることではないとわかったので,書きなおさないままは投稿することにした.
異論がでたのはこどものともだちについての部分についてである. 現在だれが親友なのかは家族のだれもがわかっている. しかし,過去のともだちについては,私は親友だったと感じていたが,間接的にきいただけなので,そうでなかったのかもしれない. 親友だったのかどうかは,本人もよくわからないといいだした.
そういうわけで,その部分はかきなおさないことにした. 疑問はのこるが,かきなおさないほうが,たぶん文章のいきおい,あるいは意図がそこなわれずにすむだろう. なおせばそれだけ,いいたいことがわかりにくくなる.
文章をひとにみせるときは,それが家族であっても,まず自分ひとりで推敲をかさねて,そのあとは極力なおさないほうがよいとおもう. あきらかなまちがいはなおすべきだろうが,意見が対立したときに相手にあわせれば,かえってわかりにくくなってしまうだろう. それはさけるべきだろうとおもった.
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