こどもの希望で渋谷の 109 に行った. 私はかならずしも,ついていく必要はなかったのだが,この機会にみてきた. 売っている商品にはあまり興味がないが,売りかたに関してはいくつかおもしろいことがあった. とくにめだったのは,いたるところに箱がつみあげてあることだ.
ウェアハウス型の店ならばともかく,ファッション系の店で乱雑に箱がつみあげられているというのは,いただけない. しかし,109 のなかにはそういう店があまりにおおい.
段ボール箱にはいった商品をとりだす間もなく売っている (つもりの) 店もあるだろう. 最初の写真の店は (うまく写真がとれなかったので,わかりにくいが) そういう感じである. 段ボール箱をいくつもならべて,そのなかから商品がとりだせるようになっていた. ただし,店のそとにあるいくつかの箱は目的がちがうのだろう.
商品の下のあいた空間に箱をおいている店もある (左の写真). みばえがよいとはいえないが,「許せる」 やりかただとおもえる. 箱のふたがしめてあれば,客はそれを無視するだろう. デパートなどでは平積みの棚の下にひきだしなどがあって,予備の商品などがていさいよく,おいてある. 段ボールにいれるのは,ていさいはわるいが,その代用だとおもえる.
もうすこし許しがたいのは,店がエレベータ・ホールや廊下などに面していて,そこを段ボール箱おきばとして利用している店だ. これらの場所は公的な場所のはずなので許しがたいが,店そのものの空間からは一応はずれたところにおいてあるので,美的感覚としてはまだ許せる.
美的感覚においてもっとも許しがたいとおもえるのは,店のなかや店のまえに客には関係のない箱をつみあげている店だ. 靴は 1 足ずつ箱にはいっているので,靴屋はその箱をつみあげていることがおおい. 客がもとめるサイズをすぐにだすにはつごうがよいのだろうが,ちょっとくふうすれば客の目にふれないようにすることはできるはずだ. ただし,これらの箱は公的な空間を占有してはいないので,その点ではエレベータ・ホールや廊下をふさいでいるのとくらべると罪がないともいえる.
店のなかとはいえないが完全に公共の空間ともいえないところにおかれた箱が,店員にも客にも一時的にものをおく場所としてつかわれているところもあった (右の写真). ひとを写真にいれないようにしたのでわかりにくくなったが,この写真の右側に店があり,正面にはエレベータ・ホールと階段がある. 客はこの箱に荷物をおいて靴をはいたり,靴をはくときにささえとしてつかっていた.
こんなふうにいたるところで箱がつみあげられているのは,それぞれの店の責任でもあるだろうが,109 全体の管理がずさんだということを意味している. 安全上も問題があるとかんがえられるので,管理会社が対策をたてるべきである.
飲食店などでは店の中や前に箱やビールのケースをつみあげているところがおおい. したがって,みなれてはいるが,私はそういう店にははいりたくない. 私の家のちかくでは花屋でもそういう店があるが,花屋は美を売っているはずなのにそういう見苦しいまねをしている店では私は決して買いたくない. ファッションの店もそれとおなじである. 109 は女性ファッションの店のあつまりなので,私がそこで商品を買うことはそもそもない. しかし,仮に安全上の問題がないとしても,こういうところにはもういきたくないし,商品も買いたくないとおもう.