日本では携帯電話が固有の進化をとげていて,「ガラパゴス現象」 ともよばれている. この現象を肯定的にみるひとつの視点は,携帯電話が万葉集以来の短歌,俳句など,短文による表現の伝統にマッチしたデバイスなのではないかということだ.
日本人はだいたい,ながい文章をかきたがらない. それは学校などで文章を書く訓練を十分にしていないためだともいわれるが,それだけが理由ではないだろう. 私の会社の社内文書の書式でも,文章をかさねて書いたほうがわかりやすいのに,わざわざ記述欄のおおきさをかぎって,苦労してみじかい文章や断片をかく習慣がある.
携帯電話のばあいは短文ですませる理由は,短文しかおくれないとか,短文でなければ入力のてまがかかるということのほうがおおきいだろう. しかし,このメディアが中学生や高校生にもフィットし,ケータイ文学なるものまでうみだしているのは,短文による表現が日本人向きだということと無縁ではないだろう. こうかんがえてくると,ケータイによる表現も日本人が得意な文化として,マンガや 「カワイイ」 などと同様にのばしていくのがよいとおもえる.
万葉集と比較するなら,万葉集の時代にはまだ日本語を正確に記述する文字が確立していなかったため,いわゆる万葉仮名がつかわれた. その後ひらがながつくられて,ひらがなだけ,あるいは漢字かなまじりで日本語を正確に記述することができるようになった. 携帯電話のばあいは逆にスマイリーのように 「よめない」 が文字のかたちをつかって表現する方法がしばしばつかわれる. 常用漢字をきめるためにネットなどから漢字を収集してくると,こういう,よむのでなくかたちで表現するための漢字が高頻度であらわれることがわかったという. こういう文字の用法があたらしい日本語表記法につながり,ケータイによる表現をささえるようになっていくのだろう.