日本ではまだ電子書籍がどちらにころぶかわからない. そういうなかで先駆的な仕事をしている会社のひとつが廣済堂だ. ところが,廣済堂で電子書籍を買うと,それはアプリケーションとして登録される. 廣済堂から 「100 人の 20 世紀」 (朝日新聞社) という本を買ってみたが,これなどは 10 分冊になっているのでアプリが 10 個インストールされることになる. これは電子書籍とアプリとを混同したまずいやりかたであり,このままでは混乱をまねくことになるだろう.
iPhone や iPad ではアプリケーションはトップレベルの画面に 1 個のアイコンとして表示される. iBook や Kindle の電子書籍は 1 個のアプリであつかわれるので,そのアプリをひらくと書棚が表示される.
電子書籍が 1 冊ずつ,まったくちがうふるまいをするのであれば,それをアプリとしてあつかうのは当然だ. しかし,廣済堂の電子書籍は,iBook や Kindle のと同様に,どれもおなじようにふるまう. つまり,これらはデータとしてちがうだけであり,アプリ,つまりプログラムとしてはおなじだということを意味している. それにもかかわらず 1 冊買うごとにアプリとしての位置をしめるということは,おなじアプリを多数ならべることを意味している.
いますぐ電子書籍を何 100 冊も買うひとはいないだろうが,いずれはそうなる. そうしたときに,iPhone や iPad のトップレベルをそれらの電子書籍が占めたらどういうことになるだろう. 読みたい本をえらぶのがむずかしくなるだけでなく,ほかのアプリをえらぶのが困難になるだろう. そうかんがえると,電子書籍をアプリとしてあつかうのはバカげたことだということがわかる. もう廣済堂の電子書籍を買うのはやめよう (写真は廣済堂の BookGate).
2010-12-10 追記:
iOS 4 にはアプリケーションをまとめる (フォルダにいれる) 機能がある.
これをつかえば,廣済堂の本を全部ひとまとめにするとか, 「100 人の 20 世紀」 だけをまとめるとかすることができる.
それをかんがえると,この項目のタイトルはいささかつよすぎたかもしれない.
2010-12-11 追記 電子書籍をアプリケーションにすることによるもっと深刻な問題は,電子書籍端末やその OS がかわったときにアプリケーションがうごかなくなることだ. 書籍は基本的には何年たっても読むことができるが,アプリケーションとしての電子書籍はそうでない. しかし,この問題については項目をあらためて議論することにしよう.