ITpro に 「電子書籍は “本” ですか?」 という記事がある. このなかでなぜ電子書籍にページめくりが必要なのかという疑問がしめされているが,まったく同感だ.
この記事の著者は 「電子書籍を手がけるデザイナーやプランナーに取材すると、多くの方が“紙の本”の再現に疑問を感じていることが分かる。」 と書いている. そして,さらにつぎのようにつづけている.
例えば 「ページめくり」 や 「見開きページ」。 多くの単行本や一部の雑誌の電子版が、紙と同様の使い勝手を再現している (写真1)。 裏側のページの文字が透けて見えるようにした細工や、iPad を横にすると見開きページが展開するといった工夫は、紙の本の再現としてとてもよくできていると思う。
筆者も当初は目新しさから、そのギミックを面白がっていた。 ところが 「読む 」という行為に立ち返った際、ふと疑問がわいた。 「iPad 上で紙の操作性をわざわざ再現する必要があるのだろうか?」。
同じ疑問を、電子書籍の制作に携わる多くのデザイナーも抱いているようだ。 その一人であるアルジス CEO (最高経営責任者) / クリエイティブディレクターの宮田人司氏は、「紙の使い勝手にこだわるのは出版社の編集の方に多い」 と指摘する。 宮田氏は iPad 向け雑誌風アプリ 「Kilibaly」 などを手がける (後述)。
ページという概念が意味をもつのは,それがつねに固定されているばあいだろう. ところが,iPad のばあいは文字サイズをかえると,ページのきれめがかわる. それなのにページをめくることにどれだけ意味があるのだろうか?
むしろ,Web のようにずっとスクロールしていくほうが自然なのではないだろうか? 本のメタファーが有効なあいだは本の厚みを感じながらページをめくることに意味があるだろうが,電子書籍のほうが主になったときには,ページをめくるのは,むしろわずらわしいことなのではないだろうか?
ページをめくると,まえのページはみえなくなってしまう. 文の途中,あるいは単語の途中でページがかわり,直前の部分もみえなくなってしまう. スクロールなら,こういうことはおこらない.
それでもページという概念がほしければ,ワードプロセッサのように,ページ境界をいれたうえでスクロールするようにすればよい. Amazon.com でも以前は “Look Inside!” (なか見!検索) で横にページをめくっていたが,最近は縦にスクロールできるようになっている. やはり電子的にはこのほうが自然だという判断なのではないか?