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社会・経済:災害・地震, 生活, 書評:社会・経済

大地震の日,戸塚から東京への徒歩での帰宅

3 月 11 日午後に発生した大地震のとき,戸塚にいた. 仕事はストップしたが,帰路についたのは午後 6 時まえだ. 結局,戸塚から西馬込まであるくことになった. 西馬込で地下鉄にのって最寄の中野新橋駅までくることができた. 家についたのは 12 日 2:00 ごろだった.

JR の電車はとまっていて再開のめどがついていないというので,まずバスをさがしたが,近距離のものばかりだった. しかたがないので,東海道をあるきだした. 東海道には東戸塚発横浜いきのバスもはしっていた. それにのることもかんがえたが,混雑しているうえ,しばらくあるいてみてわかったのはバスは徒歩よりおそいということだ. 道はすいているところもあるので,ときどきそのバスにぬかれた. しかし,しばらくあるいていると,ふたたびとまっているそのバスをぬきかえすことになった. 横浜がちかづいてくると渋滞はひどくなり,ついにぬかれることはなくなった.

JR はあすの朝まで運転しないということがわかったが,横浜からは私鉄も何本かでている. それに期待して横浜駅にいってみたが,午後 9 時すぎにはまだ,私鉄もいつ運転を再開するかわからなかった横浜駅にとどまることは避難所にいくことを意味していたので,それはさけて,川崎・東京方面にむかって,ふたたびあるきだした.

横浜駅にたちよったのは,そのちかくで夕食をとりたいとおもったからでもあった. しかし,横浜駅周辺の店はみなしまっている. むしろ,ちいさくてよさそうな店をさがしたほうがいい. 結局,新子安のあたりの中華料理屋にはいった. 最初にみたみせはいわゆるラーメン屋であり,こんでいるようでもあったので,やめた. もうしばらくいくと中国人がやっていそうな店があり,そこにきめた. はいってみると,たしかに中国人らしいなまりの店員がでてきた. あまりサービスはよいとはいえず,注文した海鮮麺がでてくるのはおそかったが,味はよかった.

戸塚にいるときから,iPhone で何通か SMS のメッセージを妻やこどもにあてて送信した. しかし,送信できないことがおおかった. 横浜につくころには,送信ボタンをおしたとたんに送信を拒否された. 結局,東京ちかくにくるまで,送信したメッセージも 1 通もとどいていなかったことがわかった. 妻やこどもからのメッセージはもうすこし,とどいていた. やはり災害時にはソフトバンクはよわいのだろう. 電話が通じないのはしかたがないが,SMS くらいはおくれるようにしてほしいものだ. E メイルならばおくれたのだろうが,携帯の E メイルで連絡がとれるようには設定していなかった. ふだんはつかなわくても,災害時のことをかんがえると,ちゃんと E メイルを設定するべきだろう

横浜付近では北へむかってあるくひともすくなくなかったが,しだいにへってきた. 多摩川をわたるころには,北へむかうひとはほとんどいなかったが,午後 11 時をすぎていたにもかかわらず,南へむかうひとはまだ列をなしていた. みな長距離あるいているのにちがいないが,ほとんどのひとには余裕が感じられた. 横浜付近では知人にもあった. 戸塚から東京まであるいたことは (もちろん!) なかったが,多摩川を徒歩でわたったことも記憶にない. しかし,東海道が通行できれば,道にまようことなく確実に東京にかえれることが実証された. 西の方向つまり橋の左手にはたかい何個かのビルのあかりがみえた. 新川崎のビル群だろう.

川崎をすぎるとバス停にはいきさきとして五反田が書いてある. そのバスをまっているひともいる. 11 時半くらいになっているので,時刻表をみるともうバスはないはずの時刻だが,まだ運行しているのかもしれない. しかし,よくわからないので,とりあえずそのままあるいていった. そのうち,たしかにバスがやってきた. あれにのっておけばよかったかもしれない. しかし,しばらくいってバスをみると,あふれるほどのひとがのっていた. これが最後のバスだとしたら,のらなくてよかったのかもしれない.

とはいえ,そのころにはさすがに足がつかれていた. あるきつづけているあいだはそれほどでもないが,しばらくやすんでからふたたびあるくと,筋肉痛がひどい. 東海道線で戸塚から品川までが 34.1 km だから,30 km 以上はあるいたのだろう. それでも,マラソンにくらべればすくない. 江戸時代の東海道の平均的な旅程では 1 日にあるくのは 33 km くらいだったという (よここく naui - 旅について) から,ちょうどそのくらいあるいたことになる. 今回は関東地方にとってみれば大震災の予行演習のようなものだ. 本番では地下鉄もつかえない可能性がたかい. 家まであるけないようではダメだろう東海道は大震災時には通行止めになるというから,建物が倒壊していなければ,あるいて東京にむかうことはできるだろう

東海道は五反田が起点になっている. だから五反田にむかってあるいていたのだが,途中で都営地下鉄の駅をみた. 浅草線の西馬込だ. いってみると,もうすぐ浅草橋まで電車の運転を再開するということなので,まっていた. 1 時ちかかったが,浅草線で大門までいき,大江戸線で中野坂上,さらに丸ノ内線で中野新橋までくることができた. 電車の接続はよかったが,大江戸線は途中駅でのれないひとがでるくらいの混雑ぶりであり,かべに手をつかなければ,ささえられなかった.

キーワード: 東日本巨大地震, 東北沖大地震, 東日本大震災, 3.11, 東北関東大震災, 東北地方太平洋沖地震

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