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スーパー堤防予算は削減するべきでなかったか?

東日本大震災の発生後,それを理由に事業仕分けでスーパー堤防予算がカットされたことを批判するひとびとがいる. しかし,200 年に一度の災害のために莫大な予算をかけて自然を打ち負かそうという発想じたいが,あらためられるべきだろう. 人間にできることはかぎられている. もっと自然と調和する,しなやかな方法をさがすべきだろう.

事業仕分けへの批判はあちこちにみられるが,たとえば Will 2011 年 5 月号の 山際 澄夫 「国難を延命に利用 菅総理の卑しい魂胆」 (p. 238) では,つぎのように書いている.

蓮舫氏は事業仕分けで [中略] 地震対策の高規格堤防 (スーパー堤防) についても,「二百年に一度の災害に備えるために多額の費用を拠出する必要があるのでしょうか」との趣旨を語った,建設中止と判定した.

[中略]

これらはいずれも,「コンクリートから人へ」という耳触りのいい民主党のキャッチコピーに基づいて [中略] これがただちに今回の大震災の被害につながったとは言えないが,大震災で犠牲になった被害者の遺族が,実は蓮舫氏が防災軽視の旗振り役だったことを知れば,決していい気持ちはしないだろう.

しかし,スーパー堤防をきずくには膨大な予算が必要であり,従来の計画では建設には 400 年かかるという. さらに予算をかけて,早急にそれを建設するべきだろうか?

いまもっとも重要なのは被災地を復興することだ. そういうときにスーパー堤防予算を復活させるなどということは,ありえないだろう. もっとほかの方法をかんがえるべきだ. つまり,スーパー堤防がなければ水害がふせげないような場所に家や事業所をたてるべきだろうか? そういう,ちからずくで自然をうちまかす方法をとるのではなく,自然に調和する方法をかんがえるべきだろう.

これは河川だけでなく,津波被害についても同様だ. 東日本大震災で地盤沈下し水没したままになっている地域がある. そこに住んでいた住民はそこにもどりたいだろうが,海となってしまった地域をうめたてて,津波がとどかないようにし,液状化もおこらないように対策するにはどれだけの費用がかかるだろうか? 費用を計算してみることは必要だろうが,おそらく,莫大な費用がかかるだろう. ここでも,自然をうちまかするのではなく調和する方法をとるべきだろう.

中谷 巌 はコラムでつぎのように書いている.

津波に襲われた場所を元通りに復興するのではなく、二度と同じような災害に遭わない新しい街づくりを考えるのが基本となる。

津波被害に遭った場所は、政府が買い上げて緑地にしたり、公共施設を配置するなどの考え方が必要だろう。 被災者の住まいは、今回の津波の到達地点よりさらに奥の高台に、新たな街づくりをすることによって確保される必要もあろう。

また,中谷はコラムでつぎのようにも書いている.

西洋近代社会は、「科学革命」を成就させることで、「力による自然征服」を可能にした(かに見えた)。 実際、それはかなりの成功を収めた。 今日の高い生産性と豊かな生活が「科学革命」によって成就されたものであることは言うまでもない。 しかし、今回の原発事故によって我々はその成功が実は人類破滅への一里塚にすぎないことを見せつけられたのではないだろうか。 そうだとすれば、我々は人類がいよいよ「文明の転換期」に入ったことを悟るべきだと思う。

「力づくで自然を征服する」というこれまでの西洋文明の考え方はつい最近まで、素晴らしい未来を人間に約束しているように見えた。我々日本人もその夢に乗ることをためらわなかった。 しかし、「力づくで自然を征服する」という発想があちこちで破綻し始めていることは明らかだ。 そろそろ「自然と共存する」「人間は自然によって生かされている」という日本古来の文明観に戻る日が近づいているのではないだろうか。 これこそ、福島原発事件が私たちに突き付けている最も根本的なメッセージなのではないだろうか。

ここでは原発事故については書かないが,かんがえかたはおなじだ.

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