佐渡裕がベルリンフィルを振った. そのようすが NHK BS で放送された. 曲目は武満の From me flows what you call time (カタカナで書くとなんのことやら,まったくわからない) とショスタコービッチの交響曲 5 番だ. 佐渡は自分の解釈をうまく楽団員につたえ,楽団員がそれを自分たちのものとして演奏できたようだ. 私はほかのことをしながらテレビをきいていたのだが,終楽章はいささか軽すぎるようにおもえた. かつて東西世界が向きあっていたベルリンのひとたちは,この演奏をどう聞いたのだろう.
ショスタコービッチの 5 番はかつてロシア革命の勝利をえがいたものだといわれていたが,そのころ,私には腑におちなかった. 「ショスタコーヴィチの証言」 が出版されてそれがソ連の悲劇をえがいたものだということがつたわり,やっと納得することができたものだ.
ベルリンフィルのホールは西ベルリンの東端にちかいところにある. 私は 1999 年にベルリンにいったが,そのとき,ここをとおったがベルリンフィルをきく機会はなかった. 1999 年当時そのすこし東に,かつて壁があった場所をへだてて,東ベルリンのコンサートホールがあった. そこでケント・ナガノの指揮による演奏会をきいた. ベルリンフィルのホールにくらべると,ちいさくてみすぼらしかったが,音は決してわるくなかった. 当時ちょうどベルリンのあちらこちらで建設ラッシュがおこっていて,現在はこの東のオーケストラのホールもたてかえられているようだ.
そういう,壁の崩壊以前は東西がむきあっていたベルリンで,佐渡のショスタコービッチはどのようにきかれたのだろうか? NHK でもベルリンフィルのデジタル・コンサートホールでも地元の新聞評が紹介されていて,「デビュー演奏会は,大勝利となった」 ということだ. しかし,終楽章がどううけとられたのかは,ここからはわからない.
この終楽章は軽快さと重苦しさをあわせもっている. かつて私に腑におちない感じをいだかせたこの重苦しさをいま無視するひとはいないだろうが,それをどれだけ重視するかが解釈のちがいにつながってくるのだろう. もしかすると,現在のベルリン市民はあまり重苦しい音楽をききたくないのかもしれない. そういうひとには佐渡の解釈があっていたのかもしれない.