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思想・哲学・宗教, 社会・経済:災害・地震

震災時の東京脱出問題と 「理性から感情へ」

「現代思想」 2011 年 5 月号には,2 人ほどの思想家らが東京からの脱出について書いている. それに対して私は 「狂った雑誌 ?! ― 「現代思想 2011 年 5 月号 特集 = 東日本大震災 危機を生きる思想」」のなかで 「このひとたち,この雑誌,くるっているのではないだろうか?」 と書いた. ところが,日経ビジネス 臨時増刊 「徹底予測 日本の復興」 (日経ビジネス アソシエ 6 月 27 日号) には 東 浩紀 が 「東京を離れた理由」 を書いている. これで,この問題についてもう一度かんがえてみる必要があると感じた.

東はつぎのように書いている.

周囲に迷惑をかけない範囲で,できる限り家族を安全な状況に置くことを優先する. それは父親として夫としての家族に対する義務である. そう考えた.

東京に残った知識人や有名人,著名ブロガーの多くは,一見冷静に見えて,実はある種のパニック状態に陥っていることがはっきりした.

これはかなりショッキングな内容だ. つまり,私が書いたこととは真逆だ. 東も 「狂っている」 といってきりすててしまうことはできるが,たぶん,そんなにかんたんにあつかうべきではないのだろう.

東は 3.11 が 「理性から感情へ」 のターニングポイントだったとも書いている. おそらく,東京から脱出したのは,彼が自身の理性よりも家族の感情を優先したということなのだろう. あるいは,彼自身の感情だったのかもしれない. 私自身は家族が幸か不幸かそれをもとめなかったから,この問題でなやむことはなかった. しかし,家族からつよくもとめられていたら,ちがうかんがえをもっていたかもしれない.

彼があげている 「ターニングポイント」 のなかで,「個人から家族へ」,「脳から身体へ」,「国内から海外へ」 の 3 つは,3.11 からはじまったものでないとおもうが,あると感じている. その一方,「理性から感情へ」 はかんがえていなかった. しかし,3.11 でおおくのひとが感情をゆさぶられ,理性より優先させたことはたしかだろう. それを 「狂っている」 と評するのは適切でなかったかもしれない.

しかし,それでも,感情を優先させることには危険を感じざるをえない. ことが自然災害だったからそれでもよかったが,戦争だったらどうだろう. 太平洋戦争で日本人が選択をあやまったとしたら,それは感情にながされたからなのではないだろうか.

感情的になったということでは菅首相もそうだが,それがプラスにはたらいただろうか? そして,いくら彼が感情的になったからといって,それを理性に優先させたということはないだろう. 政治家は国民の感情を理解する必要があるが,政治家自身が感情にながされれば国は破滅の道をあゆむことになるのではないか. 太平洋戦争のときでさえも,そういうことはなかっただろう. やはり,感情を優先させるという議論には危険なものを感じざるをえない.

2011-6-28 追記: 東は 「哲学から宗教へ」 とは書いていなかったが,もしかすると宗教家になるつもりなのではないだろうか.

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