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メディア・アート・イベント・エンターテイメント:音楽評

苦しみとエネルギーを感じるが,それほど新鮮ではない ― 佐村河内 守 作曲 交響曲第 1 番 《Hiroshima》

1 年前から気にかかっていた曲をようやく CD できいた. 作曲者は広島の被爆者のこどもであり,原因不明のまま全聾になりながらも作曲をつづけているという. その苦しみとともに,おおきなエネルギーがこの曲にはある. ロマン派的な曲想が中心であり,マーラーやショスタコービッチのあとをつぐ作曲家ともあわれているが,チャイコフスキーをおもわせる曲想や,ルネサンス的な部分や単線率的な部分もある. 解説書によると,曲の形式は第 1 楽章がややくずれたソナタ形式だが,後続の 2 つの楽章はあまりはっきりしない.

形式がはっきりしていないとはいえ,曲想や曲の展開にそれほど新鮮さはない. 旋律はマーラーやワグナーの旋律の展開と似ていて,つぎの音が予測からはずれない. むだな音がないということができるが,あたらしい発見はあまりない. それでいて,作曲者の経験があまりにふつうのひととはちがっているためもあるのだろうが,かならずしもストレートにはつたわってこない部分がある. 一度はきくに値する曲だとおもうが,マーラーのようにくりかえしききたいとまではおもえない.

CD: Denon COCQ-84901

評価: ★★★★☆

SamuragochiSymphony1.jpg

2014-2-7 追記: この曲は 新垣 隆 が作曲したものであることがあきらかにされた. 佐村河内 はグラフィック・スコアのようなかたちで新垣に曲の内容を指示していたという. その朝日新聞に掲載された部分にはグレゴリオ聖歌やバッハの宗教音楽への言及がある. 冷静に判断したつもりだが ★★★★ をつけてしまったのはやはりだまされてしまったということだろう.

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コメント (4)

吉野達也:

こんばんは。
私は、マラ、タコ、ブルの大ファンとして生きて来ましたが、佐村河内守の交響曲を聴いてからというもの毎晩飽きることなく聴き続けております。
聴く度に新しい発見がありますので、逆にマラタコなど古臭くて聴く気になれません。
このスレッドにあまりに驚いたものですから、つい書き込みをしてしまいました。
老クラシックファンである私の感覚がおかしいのかも知れませんね。
人それぞれということかも知れません。
失礼致しました。

フランジェ:

そもそも、スケルツォ無しの徹頭徹尾シリアスな80分もの超大作であることが佐村河内守の圧倒的な独自性だと思うんだが・・・・。過去にこのような大作があったら教えてほしいっす。そうでなきゃレコ芸リーダーズチョイスで36年の歴史を打ち破る歴史的大快挙は成し得るはずはないしね。い
一回聴いて飽きるものがコアなクラシックファンから圧倒的な支持を得るはずないよ。

PALS:

感じかたは千差万別。俺は佐村河内の独自性は圧倒的と思いますよ。

アジャスト:

こういう普遍的な調性大作を現代人が書けること、まずこれが奇跡的。そういう意味で佐村河内守は、世界で唯一無二だと僕は思います。

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