ICOIN 2015 という学会で 2 件の発表をするために,カンボジアのシェムリアップ (Siem Reap) にいった. 帰国する日,最後にみたのは廃墟の寺にまとわりつく生木が多数あるタ・プロムと,ひろくてアプローチが多様なプリヤ・カーンという 2 つの寺,そして Phnom Bakheng という山のうえにある寺だ. Phnom Bakheng はまえの 2 つの寺をみたあとにまだすこし時間があったので,TukTuk の運転手のすすめでいった.
タ・プロムは塀にかこまれているが,TukTuk はその外にとまる. 東側からはいり,西側にぬけた.寺のあとにおおきな木がはえ,建物にたくさんの木がからみついているところに特徴がある. それほどひろくはないが,TukTuk をおりたところからは数分あるいた.
遺跡だけならいわゆる廃墟にちかいが,生木があることでそこに “生” もある.
反対側にぬけて TukTuk 屋をさがしたが,すぐにはみつからなかった. それほどひろい場所ではなかったが,TukTuk 屋がたくさんいる. しばらくしてその TukTuk 屋が声をかけてきた. Kanada となのったので Kanada とよばれる. もうすこしちがう呼び名にしておけばよかったとおもった.
つぎはプリヤ・カーンだ. そこにいきつくまでに,まず,きのうきたアンコール・トムの一部をとおっていたった. 左下の写真はその東門だ.
つぎの 2 つの写真は途中の寺や木だ.
道の両側に石像がならんでいるところがあるが,ここではほとんどの石像の頭がない. 一部は修復されているが,ほとんどはこわれたままだ.
プリヤ・カーンは塀の内側がタ・プロムよりすこしひろい. しかも,中央の建物までのあいだに門を何度もとおる.
そのうち TukTuk は西門のそばにとまる. 今度はおなじ場所でまっているという.
ひろいので,あるくと建物までいくのに数分かかる. 最初のあたりには灯篭のようなものがある. ただし,あかりがついているわけではない. 石像もあるが,それらは石像は石をつみかさねてつくっている. 右下の石像は不安定そうにみえるが,長年の風雨にたえてきたのだろう.
途中では地雷にやられたひとによる楽器演奏 (寄付をもとめる) をしている (写真はとらなかった).
さらに門をくぐっていくと,やがてたてもののまえにきた.
ここでは,いつのまにか大学生くらいの男がついてきて,写真をとるのによい場所を紹介してくれた. かんがえていることは想像がつくし,写真は勝手にとればよいのだが,とりあえず彼にしたがった.
ここにも,塀などにまとわりつく木が数本ある.
彼が指定するままに,しばらく写真をとっていった. その写真はこれで全部ではない. つぎの,たてものにあいたあなからとった写真 (これも彼の指定) はわるくないとおもう.
彼の「仕事」はこのあたりでおわった. 2 ドルわたそうとすると,それではすくないという. しかたがないので 5 ドル札をわたしたが,さらにもう 1 ドルくれという. ことわることもできたが,私にとっての 1 ドルと彼にとっての 1 ドルの価値はあまりにちがうので,交渉となると彼のほうがつよい. 結局,言い値ではらうことになった. それでも,きのうの男の子にくらべるとおとなしいといえる.
彼が去ったあと,さらにしばらくあるき,写真をとった.
そして,プリヤ・カーンからでることにした. TukTuk の運転手をみつけて,どこにいくかを相談する. タ・プロムのちかくの寺,もっととおくの寺などを案としてしめしたうえで,おすすめをきいてみた. はやくかえりたいから,すぐにホテルにもいける場所をえらぶのだろう. アンコール・トムの南にある山とそのうえの寺がかれのすすめだ. そこにいってみることにした.
あるいて山にのぼっていく. 途中にはちかくの寺や景色の展望台があるが,木に邪魔されて肝心のものはみえない. さらにしばらくいくと,建物がみえてきた.
もとはもっと建物があったのだとおもうが,いまはわずかしかのこっていない. なかにはいってみるべきたてものはなかった.
たてもののうらにはいくつかのものがのこされている. そのなかのひとつが,つぎの右の写真だ. これは釈迦のあしあとだという.
ここでは象にのることができるようだ. 右下の写真の台で象に乗降する.
まだあかるいうちに下山した. 私がのぼったときにはひとはまばらだったが,いまはのぼってくるひとが多数いる. TukTuk の運転手からここは夕日がみものだときいていたが,それをみにきたひとだろう. もうしばらく山上にいればよかったかとおもったが,そのままおりてしまった.
あとはホテルでにもつをひろって,TukTuk で空港にいき,帰国するだけだ.
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