AI が人間をこえる「シンギュラリティ」が数 10 年後におこると信じているひとはすくなくないようにおもう. 一方で池上高志はシンギュラリティはもうおこっている,あるいはいまおころうとしているという. そういえるなら,そもそもシンギュラリティはコンピュータが登場したときにおこっていたともいえるだろう. コンピュータが人間よりすぐれたところがなかったなら,そもそもコンピュータをつかう必要はなかったはずだから.
数 10 年後におこるべきシンギュラリティとはなんだろうか? AI には脳だけでなくて身体が必要だということはだいぶまえからいわれていることだが,それだけでは人間のあらゆる能力をこえるという意味でのシンギュラリティを達成することはできないだろう. 人間をこえるにはロボットのような身体だけでなく,もっと下層の呼吸器・循環器など,さらに免疫系,細胞,細胞内の組織,などなど,脳や身体に作用している多層の構造のすべてにおいて人間をうわまわることが必要だろう. そんなことができるとは,とうていおもえない.
池上がいうようにディープラーニングやブロックチェーンが (部分的に) 人間をこえる技術であってシンギュラリティを議論する対象となるのなら,そもそも 1940 年代に数値計算装置としてのコンピュータが登場したときから,すでに身体のない「脳」であるコンピュータには人間をうわまわっている部分があったのだから,それについてもシンギュラリティをいってもいいだろう.