シンギュラリティということばが AI がすべての面で人間を凌駕するという意味だとおもうと,AI 研究者のなかに将来シンギュラリティが実現されるとかんがえるひとがいることが私には理解できなかった. しかし,シンギュラリティが将来実現することではなくて将来の目標であるとするなら,そういうひとたちのかんがえは理解できるようにおもえてきた. 目標というのは絶対に実現するべきことという意味ではない. 極端にいえば絶対実現できないことがわかっていても,それにできるだけちかづきたいとかんがえていたら目標にすえることはありうるだろう.
コンピュータはそれが登場した時から人間よりすぐれた点があった. つまり,数値計算の能力が人間よりたかいから存在価値があったのだ. したがって,シンギュラリティということばが AI が一面だけで人間を凌駕するという意味であるはずはない.
それなら人間をすべての面で凌駕することが可能かというと,人間だけでなく生物はとても複雑かつ多層的であって,とても人工物でこえられるものではない. 素粒子のレベルから物理的・科学的そして生物学的・生理学的なレベルまで,生物も人間もさまざまな能力をもっているが,AI はそれらの能力のうちのほんの一部しかもっていない.
もともと AI は人間の情報処理能力つまり情報を入力して記憶し処理し,結果を出力するという脳のモデルでつくられていた. しかし,その後,知能のためには身体が重要であり,コンピュータにも身体をあたえないと,つまり,最低限でもロボットのようにならないと人間の知能に匹敵するようにはなりえないというのが定説になった.
脳とロボットのような身体とがそなわればシンギュラリティが実現されうるのかというと,人間のからだをささえているさまざまな物理から生理まで,そして,それらでは表現されていない,あるいはまだ知られていない能力まであたえられなければ,シンギュラリティは実現されないだろう.
それにもかかわらず AI 研究者のなかにシンギュラリティの実現をかかげるひとがいるのはなぜだろうか? シンギュラリティがおよそ実現できないことだとわかっていても,それにちかづくことはできるし,したがって目標としてかかげることはできるからなのではないかと最近かんがえた. これまでも,わずかずつではあるがコンピュータはその目標にちかづいてきた. ある種の学習ができるようになり,動作に関しても人間をだいぶまねることができるようになってきた. これからもコンピュータは進化していくことはまちがいない.
AI 研究者のおおくがコンピュータの能力を人間のそれにちかづけることを目標にしてきた. しかし,コンピュータが登場した時から人間よりすぐれた部分はあったのだから,一部だけでなくすべての面で人間をこえることを目標とすることは理解できる.