妻から,こどものころ,いつから季節を感じるようになったかときかれたのをきっかけにあれこれかんがえて,「季節」ということばの意味が理系と文系とでちがうのではないかという仮説にいきついた. つまり,理系にとっては季節とはまず自然のものであるのに対して,文系にとってそれはまず文化のものつまり人間のものなのではないかということだ.
理系の私は「季節」ときくとまず自然をおもいうかべる. 気温がひくい冬,そこから気温が徐々に上昇していく春,気温がたかい夏,そして気温が徐々に低下していく秋. そしてそれぞれの時期にさく花. 蝉の声や秋の虫の声. それらはまず人間が解釈するまえに自然現象だ.
しかし,文系の妻がかんがえていることは,どうもそれとはちがうようだ. たとえばおせち料理. これは正月という「季節」を感じさせるというのだが,正月は自然とは関係がない.
ここからさきは妻のことではない. 1 月は新春というが,どうみても 1 月は春ではない. 2 月には梅が咲き,春をさきどりしているともいえる. 旧暦ではその時期が正月だったが,現在はちがう. 正月が季節だとすれば,それは自然ではなくて文化としての季節だ. 文系のひとは文化としての季節を感じているのではないかとおもった.
俳句や和歌の季語はあきらかに文化のものだ. もともとは自然からきているとはいえ,文化的なきまりでささえられている.
そこで,「理系 文系 季節」というキーワードで Google 検索してみた. しかし,これら 3 つのキーワードをふくむページはひとつもみつからなかった. なぜそれが議論のテーマになっていないのかわからないが,「それなら」とおもってここに書くことにした.