4 月 12 日から 15 日まで,妻とともに紀伊半島へのはじめての旅行をしてきた. 熊野古道をたどることが最大の目的だった. レンタカーを借りる方法もあったが,今回は公共交通機関をつかうことにきめた.
まず名古屋経由で JR 伊勢市駅まで行き,伊勢神宮に参詣した. そして,さらに JR で紀伊半島東側の新宮まで行って那智大社,那智の滝とその周辺を観光してから速玉大社と熊野本宮大社をおとずれた. 熊野古道を歩くのがひとつの目的だから,本宮大社と発心門王子とのあいだの約 7 km を片道は歩くことにした. その後,半島西側の田辺市まで紀伊半島を横断してから白浜にあるアドベンチャーワールドと和歌山市にちかい紀三井寺に行ってきた. 紀三井寺にたちよったのは,私が 3D 印刷でつくったランプシェードを提供したろうそく灯籠の様子をみるためだ.
旅行計画
妻の希望にしたがって伊勢神宮と熊野への旅行を計画した. 伊勢神宮にいくには名古屋を経由するのがいいだろう. そこでレンタカーを借りるのがひとつの方法であり,結果的にはそうしたほうがよかったとおもうのだが,そうしなかった理由は 2 つある.ひとつは借りるとしたらガソリン車またはハイブリッド車になるが,それと SDGs 的に好ましくないとかんがえたことだ.いま EV で熊野古道を走るのは困難だろう.もうひとつは最近運転していないこと,そして,免許を返上するほどではないがそれなりに歳をとってきたこと,なれない場所での運転はしたくないことだ.
名古屋まで
というわけで新幹線で名古屋までいき,そこから JR の快速で伊勢市をめざした. 乗車券と特急券は新宿駅で最初は券売機で買おうとしたが,名古屋以降の経路が複数表示されてよくわからず,結局,人のいる窓口で買うことになった. もたもたしているうちに,予定していた東京駅発の「のぞみ」候補の出発時刻 30 分前をすぎてしまって,もうひとつの候補つまり次の電車を選択せざるをえなくなった. この電車にもおくれると,名古屋以降で予定の快速列車にのれなくなってしまう.
なんとか 2 つめの「のぞみ」にまにあって,名古屋で JR の快速列車にのりかえた. これが電車ではなくディーゼル車だった. 電車とくらべると騒音がおおきいから,そうわかった. 伊勢市へは近鉄でもいけるし大半の区間で JR と近鉄とは並走している. しかし,近鉄が伊勢市まで複線で電化されているのに対して JR のほうは名古屋をでるとまもなく単線になり,そのうち電化されていない鉄道を走る. 国鉄・JR と近鉄とのたたかいで近鉄が勝利したということだろう.
一部の区間は伊勢鉄道という第三セクターだ. ちかくに近鉄があっても,いったんとおした鉄道は容易にやめられないのだろう, この第三セクター鉄道があるため,新宿で切符を買うときにまごついてしまったのだ.
伊勢鉄道を走ったあとは紀勢本線の JR 東海部分と参宮線を走るが,どちらも電化されていない. あとでわかったことだが,紀勢本線の JR 東海部分は新宮までだが,ここまで電化されていない. こんな名古屋からちかいところ,「本線」と名のつくところに電化されていない部分があるとは知らなかった. 新宮から先は JR 西日本のものだが,ここは電化されている.
伊勢神宮
伊勢神宮は関連施設が何箇所かにわかれているが,おもなものは外宮 (げくう) と内宮 (ないくう) だ. 外宮は伊勢市駅から数 100 m の距離にあるが,内宮はそこからすこしはなれていて,歩いていくのは困難だ.
まず駅からの途中にある店で昼食をとった. その店にはあゆの塩焼きがあったので,それを注文した. あとで知ったのだが,これはこの地域の名産とされている.
昼食後に外宮に参詣したが,肝心の「正宮」つまり式年遷宮でつくられる建物は参拝客から完全に隔離されていて,すこしも見ることはできない. ここまで,なんのために来たのだろうとおもわざるをえない.
内宮へはバスでいくこともできたのだが,たいした距離ではないだろうとかんがえてタクシーを選択した. しかし,タクシーはけっこうな距離を走り,2000 円以上かかる. ちょっと高いが,そのかわり,運転手からいろいろ話をきくことができるのは利点だ. サミットの話までしていた. 駅からはなれているが,内宮のほうが人が多い. 内宮にも「正宮」があるが,これもやはり隠されていて,見ることができない.
内宮のそばに商店街 (伊勢街道) があり,にぎわっている. 「赤福本店」などの菓子店,酒屋,その他いろいろな店がある. 商店街の先にバス停があり,駅に行けるはずなのだが,どこから乗ればよいのかわからない. ちかくに猿田彦神社という神社があったので,そこに立ち寄った. そこで駅に行くバスがくるのはどのバス停なのかきいたのだが,ただしいこたえはかえってこなかった. そこで,結局あちこちのバス停をまわって正解をさがす必要があった.
紀伊勝浦のホテルまで
ようやくみつけたバス停から駅へのバスに乗り,予定の列車に乗ることができた. この列車は来たときとおなじ快速であり,終点は名古屋だ. 途中の多気駅で新宮行きにのりかえる. ここも電化されていないので,走る列車も当然ディーゼル・エンジンでうごく. 新宮までは 3 時間以上かかる. にもかかわらず,車両は都市型の電車と同様に座席が 2 列になっている. 一見は短距離の通勤電車風だが中距離のディーゼル車という,乗ったことのないタイプの列車だ.
ここはトンネルが多い. 鉄道をとおすにはかなりのコストがかかっただろう. そのわりに乗客はすくなくて,コストにみあっているとはおもえない. トンネルじたいはそれほど保守にコストがかかっていないのかもしれないが,いずれはトンネルを放棄する必要がでてくるのではないだろうか? 伊勢市から新宮までの乗車券は 8000 円だったが,新宮から新大阪までは特急券をあわせても 7790 円だ. 大阪か名古屋かどちらにいってもよい場合には,新宮からは大阪に行くことをえらぶのだろう.
伊勢神宮と新宮ちかくの速玉大社とは熊野古道でむすばれている. あとで「熊野本宮館」で三重県のパンフレットをみてわかったのだが,和歌山県にとっての熊野古道はおもに熊野本宮大社周辺の道だが,三重県にとっての熊野古道は伊勢神宮から速玉大社にいたる道のようだ. しかし,今回はその道をとおることはかんがえず,JR で伊勢神宮から新宮までいくことにしていた.
新宮についたのはちょっとおそい夕食時なので,レストランをさがした. あまりめぼしい店がないのでお好み焼き屋を選択した. この店では客がお好み焼きをつくるのではなく,ひとりで全部調理していたため,注文の品がでてくるまでにかなり時間がかかった. バスの出発時刻 21:00 になんとかまにあって,ホテルがある紀伊勝浦まで行った. 紀伊勝浦にも駅があるが 21:00 には電車はもうない.
ホテルは駅のすぐそばだ. 翌朝はまたここからバスに乗って那智駅経由で那智山に向かう.
那智山・那智の滝
初日は荷物を持ったまま観光したが,妻がこれでは動けないというので,荷物は那智駅のコインロッカーにいれることにした. 行きはバスで直接 那智山方面に行き,帰りは直接 速玉大社まで行くように計画したのだが,往復ともコインロッカーのためにやむなく那智で一旦下車するようにした. バスを待ってもよかったが,だいぶ時間があり距離もたいしたことはないので,那智までタクシーをつかうことにした. ここでも運転手からいろいろ話をきき,タクシーで那智山にいくことをすすめられたが,それにはしたがわかなった.
コインロッカーに荷物をおさめてからバスがくるまでにはかなり時間があったが,バスを待って那智山方面に行き,途中の井関で降りてそこからは歩いた. ここから歩くことにしたひとつの理由は途中に市野々王子などの遺跡などがあるからだが,それほどたいしたものはなかった. ここも熊野古道の一部のはずだが,むしろ生活道路となっていた.
その道は途中まではゆるい坂だが,山のちかくはやや急になり,大門坂という階段状の坂がある. そこに着くまでにだいぶあるいていたので,さらに坂をのぼるのはそれなりにきつかった. タクシーの運転手はその手前でくるまをおりることをすすめていた.
山頂ちかくには那智大社がある. 参道のそばには那智の滝からくる川がながれている. このあたり一帯は 20 年前にユネスコの文化遺産になったが,その後に神社の建物は赤くぬりかえられたのだとおもわれる. 神社のすぐとなりには青岸渡寺という寺があるが,こちらは塗装されていない.
青岸渡寺から出ると,一段の滝としては日本一の高さだという那智の滝がみえる (左下の写真). 道をしばらく下っていくと滝の下に達して,そこに飛龍神社がある (右下の写真).
滝にちかい店で昼食をとり,バスで那智駅にもどった. 荷物をコインロッカーからだして速玉大社をめざしたが,バスを誤認して 1 台のがし,またしてもバスが来るまでにかなり (1 時間以上) 待つ必要があった. バスは新宮行きだが,途中の速玉大社前でおりた. バス停から速玉大社までは 200 m ほどある. あとで知ったことだが,「速玉」とはイザナギを意味している. ここで妻が「熊野もうで餅」を買った.
そこからふたたびバスに乗り,本宮大社方面に行った. 速玉大社でバス停をきくと,ここでは正確におしえてくれた. 本宮大社にはあすふたたび来ることにして,ホテルに向かう.
ホテルはわたらせ温泉の「やまゆり」にきめていた. ちかくには安い宿はすくなく,またレンタカーできているのでなければホテルのそとで食べるのはむずかしいとかんがえて,2 食つきにしていた. ここが 3 泊のうちもっとも豪華な宿泊となる. 本宮大社からホテルへの行き方は事前にかんがえていなかったが,バスでいくことにした. あとでわかったことだが,ホテルのくるまは本宮大社からの送迎をしているから,時刻をあわせて,それを利用する方法もあった. ただし,この時刻には送迎はなかったとおもわれる.
最近は旅行もしていないが,以前,旅行するときにもほとんど安宿にとまっていたので,ホテルやまゆりでの夕食はもっともゆたかな食事だった. このホテル内の温泉は露天と家族風呂だが,川にかかった吊り橋をわたると「ささゆり」というホテルがあり,そこの大浴場も利用できたのでそこにした. 夜 10 時すぎにいくと,行ったときにはほかにだれもいなかったが,あとから数人やってきた.
翌朝,付近を散歩したが,ささゆりの裏には八重桜があり,ちょうど満開だった (下の写真).
ホテルのくるまで本宮大社経由,発心門王子までおくってもらった. 最初の計画ではまず本宮大社に参詣し,本宮大社から発心門王子まで歩いて,発心門王子からバスで本宮大社を経由して直接,紀伊田辺まで行くことにしていた. しかし,コインロッカーに荷物をあずけるには本宮大社にちかいコインロッカーを利用するのが適当だ. そのため,ホテルのフロントのすすめにしたがって,まず本宮大社でコインロッカーに荷物をいれ,発心門王子から本宮大社まで熊野古道を歩いてからコインロッカーの荷物をとりだすことにした.
発心門王子から本宮大社までは距離は 7 km くらい,目安が 2 時間ということだが,7 km の山道を 2 時間でいくのははやすぎるとおもう. 基本的にはくだりだが,登り坂もあるし,下り坂もゆっくりおりるのがよいとかんがえた. 途中に展望台に寄り道して,本宮大社の大鳥居などを眺望した (下の写真).
やがて本宮大社の裏にでる. 裏口からはいって本宮大社に参詣した. ここにはイザナミ,イザナギからアマテラスまで,4 人の神およびその他の神がまつられている (下の写真).
下っていくと,きのう見た正面の石段にでる. そのちかくにあるレストランで「もうでそば」とめはり寿司のセットを注文した. もうでそばには細切りの大根と梅干しがはいっている.
本宮大社をでて予定どおりコインロッカーから荷物をだして,バスを待った. またかなりの時間があり,バス停のちかくにある「熊野本宮館」を見たりもしたが,それほど内容がある場所でもないからすぐに見終わってしまう. すでに荷物をとりだしたから,あまりとおくに行く気はない.
バスのなかには紀伊田辺が終点のものもあるが,乗ったバスは紀伊田辺駅経由で白浜空港まで行くものだった. このバスは途中でホテルちかくの「とれとれパーク」前にとまるので,田辺でなくそこでおりてホテル アレーズド・バレまであるくことにした.
とれとれパークの停留所からホテルまでは直線距離では 400 m くらいだが,かなり遠回りする必要があった. アレーズド・バレは自家用車を前提とした高級住宅街のなかにあり,道なりにいくと 2 km ちかくある. なんとか近道はないものかとさがしていると,住宅街にのぼる階段があった. 事故があっても補償しないと書かれたその急な階段をのぼってホテルからまっすぐつづく道にでた. 300 m くらいとおまわりしたが,道なりにいくのにくらべるとかなりちかい. こういう道を発見するのは私にとっては旅のたのしみのひとつだが,妻にとってはありがたくないことであるのだろう.
しばらくやすんでから,周囲になにがあるか,とくに,とれとれパーク方面に行くもっとよい近道がないか,ひとりでさがしにいった. ホテルを出て浜のほうにぐるっとまわり,とれとれパークと付近のレストランをみた. とれとれパークは 18:30 でおわりだが,レストランはもっとおそくまでやっている. しかし,すでに 18:20 くらいになっていて,近道はみつかっていない. あまり成果はなかったが,これも私にとっての旅のたのしみだ. この日,私は 2 万歩をこえる距離をあるいたが,それによって足にとくに問題がおこることはなかったようにおもう. しかし,としをとって長距離あるくのがむずかしくなると,こういうこともできなくなってくるだろう. 妻は翌日には足がむくんでいた.
ほんとうは「とれとれパーク」付近で食べたかったのだが,ホテルからとおいためファミリーマートで買って夕食をすませることにした. ホテルのレストランは予約していなければたべられない. ホテルの夕食を予約していなかったのは,もとの計画では夕食は田辺でたべることにしていたからだ.
ここにも温泉があったので,そこに行った.湯にももちろんつかったが,ほかにだれもいないので,自宅でするのとおなじように,シャワーは高い位置にあるフックにかけてつかった. つまり,立った状態でからだをあらった.
さいわい朝食はホテルで予約していた. 夕食はくるまでたべにいくひとがいるのだろうが,朝食はホテル以外ではたべにくいから,ついているのだろう. ここで焼いたちいさなパンをいろいろならべていた. それがうりものなのだろうが,あまり糖質をとりたくないので 2 個だけにした.
アドベンチャーワールド
最寄りの路線バス停は「とれとれパーク」のつぎの「藤島」だ. そのそばにファミリーマートがある. 妻はきのうとおった階段をとおるのがこわいというが,とおまわりしたくないのでそこを通って藤島から 8:35 のバスに乗った. このバスは白浜を一周してアドベンチャーワールドまでいく. アドベンチャーワールドの開演時間は 10:00 なので,かなり時間があった. 荷物は例によってコインロッカーにいれたが,ここのコインロッカーはカードと現金がつかえるようになっていて,現金も 10 数個のロッカーにつき 1 箇所でしかいれられない. 古典的なロッカーにくらべると操作も面倒だ. おもわず文句をいってしまった.
10:00 になって,なかにはいると,まずちかくにパンダ舎がある. ここからほかの動物をみながらサファリにむかった. サファリにはあるいてみられる部分もあり,オープンカーもあるが,肉食動物のコーナーは「ケニア号」という連結された車両でしかはいれない. 時間もかぎられているので,それだけに乗車した. サファリとはいうが,動物の種類ごとにくぎられているので,あまりサファリという感じではない.
その後,もう 1 箇所のパンダをみた. ここは建物の外であり,観客がいるまえで,2 頭のパンダはそれを気にせずにひたすらえさを食べている (下の写真).
そのあと,イルカのショーとアシカをはじめとするさまざまな動物のショーとをみた. このイルカのショーはよくできている. イルカも人もよく訓練されていて,イルカ単独の芸だけでなく,イルカと人とでアーティスティックスイミングをしている感じだ. つまり,人をのせて泳いだり,もちあげたりする. どのイルカもここまでの芸ができるわけではないだろうが,30 頭以上のイルカがいるから,選抜されたイルカはこのような芸ができるということだろう.
熊野古道が第一目的の旅行だが,紀伊半島に行くならアドベンチャーワールドをみたいと (妻でなく私が) かんがえたのだが,パンダだけでなく,このイルカショーは東京から来てでも見るに値するとおもう. もしかするとこのショーの原点は 2019 年におこなわれた「マジカルクリスマス (ルサルカエンターテイメントとイルカパフォーマンスとのコラボレーション)」なのかもしれない.
紀三井寺
アドベンチャーワールドからバスで白浜駅にむかった. 今度は近道をとおるので,短時間で駅につく.そこから特急と鈍行をのりついで紀三井寺駅にいく. 駅の手前で山のうえに紀三井寺がみえるので,駅からそこをめざしてあるいた.
紀三井寺にはいるとすぐケーブルカーの駅がある. 運転は自動であり,切符うりばでは操作はエレベーターとおなじという説明をうけた.
紀三井寺にたちよったのは,ケーブルカーの終点からのびる参道にあるろうそく灯籠のランプシェードの状態をたしかめるためだ. この灯籠はケーブルカーの開業直前の約 2 年前に設置されたのだが,すでに一度は交換している. 用途をきかないまま注文をうけたのだが,このシェードは PLA というプラスティックでできていて,実は屋外での使用に向いてはいない. 交換後も材質はおなじだが,紫外線をふせぐくふうをしてもらうとともに,灯籠本体への固定のしかたもくふうしてもらっている. それから約半年たつが,いまのところ劣化していないことが確認できた.
灯籠の状態をみたあと,本堂にむかった. さらに上にある建物をみた. そのとなりには神社もあり,鳥居がかさなりあっていた.
帰宅まで
紀三井寺から新大阪までが遠かった. 特急をつかえばよかったのだが,あらかじめ特急券を買っていなかったために,のることができなかった. 快速電車に乗ったが,大阪が終点であり,しかも時間は特急よりよけいにかかる. 大阪でいったんおりて,夕食 (弁当) を買って新幹線のなかでたべるつもりだった. たべものを買うまではよかったが,新幹線の座席予約ができなかった. 自動券売機をつかったのだが,のぞみの時刻と特急券の区間を指定したあとで,時刻の選択の画面にもどってしまう. なぜもどったのか理由は知らされない. それを 2 回くらいくりかえしたあと,いったんあきらめたが,自由席にすることにして,再度,自動券売機の列にならんだ.
自由席では食事がとりづらいだろうとかんがえて,夕食は駅の腰掛けでたべた. そして,つぎののぞみの自由席にのってみると,なんとか,ならんだ 2 席を確保することができて,東京まですわっていくことができた. 立っているひとはほとんどいなかったが,あいている席はかぎられていた.