エマヌエル・バッハはおおくの鍵盤楽器曲を書いているが,そのおもな対象は市民社会で成功した一般のひとびと (「愛好家」) であり,それによって大成功したようだ. そういうひとびとのために演奏法の本も書いている.
エマヌエル・バッハ (C. P. E. バッハ) の時代にはまだピアノはなかった. しかし,そこにつながるさまざまな鍵盤楽器が開発されていた. CD できけるエマヌエル・バッハ (C. P. E, バッハ) の鍵盤楽器曲集の一部はそのようなさまざまな古楽器で演奏されている. たとえばピエール・ゴアは「CPE Bach fuer Kenner und Liebhaber Sonatas, Rondos & Fantasias」においてエマヌエルのソナタやロンドをクラヴィコード,パンタロン,フォルテピアノという 3 種類の楽器によって演奏している. また,ミクローシュ・シュパーニは「鍵盤独奏曲全集 第34集」などにおいて同様の曲をタンジェントピアノで演奏している.
当時は宮廷社会から市民社会への以降の途中にあり,おくれていたドイツでもプチブルがそだちつつあったとかんがえられる. そして,金銭的に余裕があるひとびとは,あたらしく開発された鍵盤楽器を自分で演奏するために買っていたのであろう.
当時バロックの鍵盤楽器曲の楽譜は多数あったとかんがえられる. しかし,そういう「愛好家 (enthusiasts)」たちが演奏できる楽譜はかぎられていた. バロックの曲のおおくは通奏低音を記号で書いていたため,専門の演奏者でやければわかりにくく,愛好家には演奏しづらかった. エマヌエル・バッハはそういう愛好家がひきやすい鍵盤楽器曲集を作曲して楽譜を売った. 「識者と愛好者のためのクラヴィア・ソナタ」などと題された 6 つの曲集がそれだ. ほかにもタイトルに「婦人たちのための」とつけられた曲もある. 曲集の前文でエマヌエルはつぎのように書いているという [Kubota 1]. 「これらのソナタを作曲するにあたっては,私はとりわけ初心者,年齢や仕事のために練習できる忍耐や時間をもっておられない愛好家のことを考えました.」 これらの曲の楽譜を売ってエマヌエルはかなりもうけたようだ. 識者と愛好者のための曲集で年俸の 11 年分くらいかせいだという [Kubota 2]. これらの曲集は「多感様式」的であるという点でも愛好家にとって魅力的だったのだろう.
古典派のおおくの作曲家は宮廷などではたらくことで生計をたてていた. エマヌエル・バッハも例外ではなかった. それに対してベートーヴェンは楽譜を売って生計をたてたというが,(どういうひとに売ったのか?) もっとはやい時期に市民社会で楽譜を出版してかせいだのはエマヌエル・バッハだ.
エマヌエル・バッハはまたそういう愛好家などのために鍵盤楽器の奏法についての厚い本を書いた. それが「正しいクラヴィーア奏法」第 1 部および第 2 部だ. 第 1 部がおもに愛好家のためのものらしい.
参考文献
[Kubota 1] 久保田慶一,バッハの 4 兄弟,音楽之友社.p. 114 (第 2 章, I).
[Kubota 2] 同書,p. 111 (第 2 章, I)