交響曲という形式を確立したのはハイドンだといわれているが,交響曲全集の CD を買ってそれが検証できたようにおもう. すこし意外だったのは,モーツァルトはむしろそれをこわして遊んでいたのではないかとおもえることだ. その点はモーツァルトと仲がよかったというハイドンの弟ミヒャエルも同様だ. そして,その後もベートーヴェンやロマン派の作曲家によって交響曲がうけつがれるとともに,「こわされて」いく.
ハイドンは交響曲の形式を完成されたというが,実際,比較的初期に 4 楽章形式の交響曲を確立して,それ以来その形式をまもりつづけていることがわかる. そのことはハイドンの交響曲全集の CD で確認できた.
ハイドンの交響曲のひとつの特徴は第 3 楽章が「メヌエットとトリオ」だということにある. つまり,4 楽章形式の交響曲を確立して以降のハイドンの交響曲のすべての第 3 楽章が「メヌエットとトリオ」となっている.
それに対してハイドンの弟のミヒャエル・ハイドンやモーツァルトはハイドン以前の交響曲の形式である 3 楽章の交響曲をしばしば作曲している. 4 楽章の曲も第 3 楽章が「メヌエットとトリオ」であることはむしろすくない. ミヒャエル・ハイドンに関しては Michael Haydn Collection という 28 枚組の CD で確認した. ただし,この CD にはミヒャエル・ハイドンの交響曲がすべて収録されているわけではない.
当時の西洋音楽はバロックからロマン派へというながれのなかにあった. 当時のドイツ音楽に「古典派」ということばがつかわれるが,それはハイドンのためにあるのではないだろうか. 上記のようにモーツァルトはハイドンが確立した交響曲の形式をそのままうけついだわけではなく,むしろそれをこわしている.
ベートーヴェンも同様だ. ベートーヴェンは 4 楽章形式の交響曲をつくりつづけたが,交響曲第 5 版の第 3 楽章は第 4 楽章にながれこむようなかたちになっていて,各楽章が独立した本来の古典派の (つまりハイドンの) 交響曲の形式ではない. また,交響曲第 6 番はそれぞれ表題がついた 5 つの楽章からなっている. さらに,交響曲第 9 番には合唱がついていて,もはや古典的な交響曲ではなく,ロマン派の交響曲とくに合唱や独唱を多用したマーラーのそれにつながっている.