飛行機の窓からアメリカのけしきをみるたのしみ
アメリカ人にとってはめずらしくないかもしれないが,たまにしかアメリカの上空をとばない私にとっては,飛行機の窓からみえるアメリカの地形はとてもおもしろい. 様々な地形が,おもに雨によってかたちづくられている.川,谷,湖,海岸などだ. もちろん,雨だけでなく,造山運動によってつくられた山もある.まっすぐながれる川はそれほどおもしろいものではないが,まがりくねった川がおおい. 湖も複雑なかたちをしている. よく正体のわからない地形や建造物もみえる.
アメリカ人にとってはめずらしくないかもしれないが,たまにしかアメリカの上空をとばない私にとっては,飛行機の窓からみえるアメリカの地形はとてもおもしろい. 様々な地形が,おもに雨によってかたちづくられている.川,谷,湖,海岸などだ. もちろん,雨だけでなく,造山運動によってつくられた山もある.まっすぐながれる川はそれほどおもしろいものではないが,まがりくねった川がおおい. 湖も複雑なかたちをしている. よく正体のわからない地形や建造物もみえる.
アメリカの空港で PC をつかっていると,よくインターネットに接続できるかどうかきかれようにおもう. といっても,まだ 2 回だけなのだが…
St. Maarten からのかえりにとまったマイアミの Airport Regency Hotel でうけた印象,とくに石鹸のおおきさについて書く.
2012 年 3 月なかばにロサンゼルスに出張する機会があった. ほとんどホテルの周辺にいただけだが,書いた項目をまとめておく. (日付は意図的に出発時にしている.)
ロサンゼルスの Hyatt Regency Century Plaza というホテルに滞在している. このホテルをえらんだのは,ここでひらかれる GEC 13 (GENI Engineering Conference 13) という会議に参加するためだ. Hyatt Regency というと高級ホテルというイメージがあり,実際ここもやすくないのだが,あまりつかい勝手のよいホテルではない.
アジアでは夜中,人がいるオフィスや大学などに 「不夜城」 ということばがつかわれる. しかし,ロサンゼルスのホテルの窓からみえる近隣のオフィス・ビルをみると,「不夜城」 ということばがここでは意味をなさないことがわかる. ひとがいるわけではないが,あかりがきえることがない.
1989 年にアメリカに住んでいたころから,NHK の世界むけの放送をきくことができた. 当時はそれによって日本のニュースをしいれていた. しかし,ロサンゼルスでみたそのニュース番組はかなり,さまがわりしていた.
アメリカのテレビ放送デジタル化のスケジュールはすくなくとも最初は日本に先行していた. ところが,ロサンゼルスのホテルでうつせる放送局の大半はまだアナログだ. ところが,このホテルにある受像機はデジタル対応の液晶画面をもっていて, アナログ放送はただしい縦横比でうつらない. もしデジタル・テレビを買ったおおくのひとがこういう画面をみているのだとしたら,アメリカの (あるいはすくなくともロサンゼルスの) テレビのデジタル化はうまくいっていないといってよいのではないだろうか.
以前は飛行機にのるといやだったことのいくつかが,最近はなくなっている. 快適になるように改善がすすんできたということだろう.
GEC 16 (16th GENI Engineering Conference) という技術会議への出張のためにユタ大学がある ソルトレーク・シティ (Salt Lake City) に出張した. Salt Lake City はモルモンの Temple をはじめ,いろいろな施設があるまちだが,なによりも,まちの周囲の雪をかぶった山のけしきがきれいだ. 例によって,項目ごとにわけて書く.
出張でソルトレイク・シティ (Salt Lake City) にあるユタ大学にきている. 比較的はやくついたので,大学の周囲とまちの中心部とくにモルモンの聖地をみてきた.
出張の際の仕事のことは (ふだんもだが) あまりこのブログに書いていない. しかし,とくに秘密ではないので,すこし書くことにする. 1 日めは公式にはホテルに到着するだけだが,2 日めにはデモの準備をてつだった. デモがおわってからはさそわれてシーフード・レストランにいき,おなじ職場から行った 2 人がホテルもおなじだったので,電車でホテルにかえった.
仕事に関しては,きょうは学会の主会場でセッションをきくだけだ. その内容に関してはここには書かない. ひるま,へやがとてもあたたかく,時差があるのでねむくなるのにはまいった. 朝と昼は会場ちかくの学生などのための食堂でたべる. ふつうのアメリカン・フードであり,とくにいうことはない. 夜はひとりで散歩し,みつけたレストランでたべて,電車でかえった.
ソルトレイク・シティでの 4 日めのきょうは,ほとんど外にはでなかった. しかし,朝の雪は書いておくに値するだろう.
この春のアメリカでは例年より気温がひくく,ソルトレイク・シティでも夜は氷点下になることがあり,日中も 10 ℃ 以下だ. そのため,へやには暖房が必要になっている. しかし,このホテルには湿度はもちろん,温度もきちんと制御できる空調がはいっていない. まどの下にエアコンがあるが,cool - warm のあいだを調節するだけだ. これで warm にして暖房をいれるととんでもなく暑くなり,乾燥がひどくなる. なんとか湿度をあげる方法をくふうした.
ソルトレイク・シティの路面電車に関しては,いろいろ書いておきたいことがある. 料金,運転間隔から,電車の幅や座席の配置,車両のかたち,違反の発見などだ.
ソルトレイク・シティでの最後の日は,午前に GREE 2013 という学会 (というよりはローカルな研究会) を聴講してから,食券がもう 1 枚あったので,いつもの学食ではやめの昼食をとり (きょうはここで朝食もとったのだが),まちを観光した.
ソルトレイク・シティへの出張からの帰途は,寒波のために飛行機がおくれて,さんざんなめにあった. その間には,英語がほとんどはなせない中国人とのやりとりなど,いろいろな出来事があり,おくれが拡大されてほとんどゲートまではしっていくようなはめにおちいった.
個人的に SFF Symposium に参加するためにテキサス州オースティンにきている. フライト・チケットの関係で観光に 2 日間あてることができるが,それほどみるべき場所があるところでもない. また,なにより最高気温が 40℃ くらいで,とてもあついから,観光の時間はかぎることにした. それでも,下町観光,ホテル,その他いろいろ書けることがある. ここではそれをざっと書いて,ほかの項目へのインデクスをのせることにする.
SFF Symposium のためにテキサス州オースティンにきている. 最高気温が 40℃ 以上もあってとてもあついから,観光は基本的に朝にかぎることにしたが,学会がはじまるまえに下町まであるいてみることにした.
SFF Symposium のためにテキサス州オースティンにきている. とまっているホテルは会議開催場所であるテキサス大学にちかい Days Inn だ. くるまのない身にはあまり便利な場所とはいえないが,それでも,あるいていける範囲にレストランもスーパーマーケットもある.
SFF Symposium のためにテキサス州オースティンにきている. とまっているのは,まちはずれの Days Inn だが,学会の公式ホテルは下町にある Driskill Hotel だ. パンケットのまえに時間があったので客室の階もみたが,かべにはところせましと絵画がならべられている. 一般の客室があるのは 4 階と 5 階だけだが,そこはまるで美術館のようだ.
SFF Symposium のためにテキサス州オースティンにきている. Days Inn というモーテルにとまっているが,そこでのできごとを 2 つ. たまたまおこったことなので,Days Inn で再度おこるとか,Days Inn の評判をさげようとか,そういうことではない. 一流ホテルでなければどこでもおこりうることだろう.
オースティンの空港内にセルフサービスのドリンク売りばがある. そこにある Kombucha なるドリンクをためそうとしたが,セルフサービスであり, 何度クレジットカードをためしてもだめなので,あきらめざるをえなかった.
オースティンからホテルまではタクシーをつかったが $34 もかかった. かえりは SuperShuttle にしたので $14.20 ですんだ. しかし,いきもかえりも,ちょっとした経験をした.
ホテルのちかくのスーパーマーケットで 1 ガロン 79 セントの水を買った. 蒸留水,わき水ともう 1 種類あったが,わき水を買った. これがなんともまずい. 蒸留水もおなじ値段たったから,それを買えばよかったのかもしれない. テキサス大の食堂で,濃縮還元の Sprite を飲んでも,やはりどうもまずい. つかっている水がスーパーで買ったのと同様の水をつかっているからではないだろうか. ボトルにはいったものを買えばよかった.
以前のながい円高の時代には,アメリカにくると物価がやすいと感じたものだ. しかし,最近は感覚的には日米で物価の差があまりないように感じている.
GEC 18 (18th GENI Engineering Conference) という会議のためにニューヨークに出張している. ニューヨークで学会などがあることはまれであり,出張としては今回がはじめてだ. ピッツバーグに 1989 年から 1 年半住んでいたときには,2 回きたことがあるが,いずれも個人旅行だ. 例によって移動の過程や観光などを項目として書き,それをここにリンクすることにする.
ニューヨークには過去 2 回きていて,そのたびにメトロにも乗っているはずだが,ほとんど記憶がない. 今回は JFK 空港からもふくめて,あちこちでメトロをつかった. コスト削減で整備がいきとどかなくなっているようだが,工事はあちこちでおこなわれている. もともとわかりやすくはないが,そのためにわかりにくくなっているようにおもえた.
ニューヨークに出張した最初の日は時間があったので,MidTown あたりをあるき,MOMA (近代美術館) をみて,最後はニューヨーク・フィルのコンサートにいった. 美術館の人手のおおさにすこしおどろいた.
ニューヨークに出張した最初の日は時間があったので,MidTown あたりをあるき,MOMA (近代美術館) をみて,最後はニューヨーク・フィルのコンサートにいった. シャルル・デュトワの指揮,3 人のチェリストをむかえてのラベルのスペイン風ラプソディー,ペンデレツキのコンチェルト・グロッソ,ムソルグスキーの展覧会の絵という曲目だ. ペンデレツキは作曲家本人もきていて,もりあがった. 展覧会の絵はくふうのある演奏であり,さかんな「ブラボー」をうけていたが,私にはすこし疑問がある.
ニューヨーク出張でチャイナタウンの Hotel 91 というホテルにとまった. 学会会場はブルックリンのニューヨーク大だ. ブルックリンをあるくのははじめてだ. 学会指定のホテルはブルックリンにあるが,自分で選択した結果,マンハッタンの南,チャイナタウンのホテルになった. アメリカのほかの都市にいくときもチャイナタウンのホテルを選択しがちだ.
20 数年まえにニューヨークにきたときには,チャイナタウンにはいかなかった. 今回はチャイナタウンのホテルにとまったので,ひととおりみてみた. チャイナタウンといえばまずレストランだが,期待していたほどではない. 朝はあまりつかえない.
9.11 以降のニューヨーク訪問ではずせないのはグラウンドゼロにいくことだとおもえる. グラウンドゼロじたいは長蛇の列のためにみるのをあきらめたが,周辺にも 9.11 の痕跡がいろいろのこっている.
ニューヨーク出張でチャイナタウンに 4 泊しているが,最初の 2 日はここで夕食をとってはいない. 3 日めにやっと中華レストランで夕食をたべることにした.
ニューヨークから帰国する日,あさはやくから 11 時くらいまでブロードウェイとそのつづきの道を散策した. そこからはずれて,映画のシーンなどで有名かつ 100 周年の中央駅にいき,昼はホテルちかくで中華をたべて空港にむかった.
学会出張でポーランド,ドイツをへて,カナダのヴィクトリアにきている. Accent Inn のちかくでレストランをさがした. 最初はベトナム料理をめざしたがあいてなくて,結局バーガー屋でたべた. そのあと火鍋屋 (中華料理) をみつけて,しまったとおもった.
学会出張でポーランドのクラクフからフランクフルトを経由してカナダのヴィクトリアにいく. 以前,学会で Kanada というなまえがうけたことがあるが,それほど話題になったことはなかったようにおもう. 今回はすくなくとも 3 か所でそれが話題になり,笑いをさそった.
学会出張でポーランドのクラクフからフランクフルトを経由してカナダのヴィクトリアにきた. 学会のセッションがない 13 日にホテルから下町まであるいて観光することにした.
学会出張でポーランドのクラクフからフランクフルトを経由してカナダのヴィクトリアにきた. ここではパスをおりるときに乗客が "thank you" というのが習慣になっているようだ. なれないので最初はいわなかったが,何回かのっているうちに,いってみた. ほかにも,バスにかかわる話題がいくつかある.
学会出張でポーランドのクラクフからフランクフルトを経由してカナダのヴィクトリアにきた. ここでの学会のバンケットは,議事堂や有名なホテルなどがあつまった内湾の岬のホテルでおこなわれた. Laurel Point Inn というこのホテルには,日本庭園があり,日本のつぼなどのコレクションがあった.
学会出張でポーランドのクラクフからフランクフルトを経由してカナダのヴィクトリアにきた. 学会がひらかれるのはヴィクトリア大学,ホテルはバスでいくが,バス停まで 1 km くらいある. 大学とホテルは地図でみると 4 km くらいはなれているが,これはあるけない距離ではない. そこで,一度あるいてみることにした.
学会出張でポーランドのクラクフからフランクフルトを経由してカナダのヴィクトリアにきた. 大学には MIT や東大のような奇抜な建物はないが,それでも興味をひかれるものはいろいろある.
学会出張でポーランドのクラクフからフランクフルトを経由してカナダのヴィクトリアにきた. 学会は最終日の朝おわってしまったので,昼はホテルちかくのショッピングセンターのフードコートでたべた. ギリシャ料理のみせをえらんだが,カラマリというイカのフライとサラダにした.
学会出張でポーランドのクラクフからフランクフルトを経由してカナダのヴィクトリアにきた. ここでうけとる紙幣のおおくは 20 ドル札か 5 ドル札だが,紙でできたふるいものと,プラスティック製のあたらしいものとがある.
学会出張でポーランドのクラクフからフランクフルトを経由してカナダのヴィクトリアにきた. 学会のバンケットが内湾の岬のホテル Inn at Laurel Point でひらかれたが,そこのサービスはいろいろ疑問があった.
学会出張でポーランドのクラクフからフランクフルトを経由してカナダのヴィクトリアにきた. 羽田からクラクフへは全日空とルフトハンザ,ヴィクトリアにいくときはヴァンクーヴァーまでがルフトハンザでそのあとがエア・カナダだった. それ以降は成田までエア・カナダだ.
学会出張でポーランドのクラクフからフランクフルトを経由してカナダのヴィクトリアにきた. そこからのかえりにのったエアー・カナダのフライトで,クラシックのオーディオ・プログラムをきいた. 有名な曲があつめられていることがおおいが,エアー・カナダではあまりきいたことのない曲があつめられている.
GEC 20 (20th GENI Engineering Conference) という会議に参加するためにカリフォルニアのデイヴィス (Davis) にやってきた. 最近は海外出張つづきで,ほかのことをブログに書くひまがない.
カリフォルニアのデイヴィス (Davis) に出張できている. 目的地は U. C. Davis (カリフォルニア大学デイヴィス校) だが,その大学の端に位置する Aggie Inn というホテルにとまっている.
カリフォルニアのデイヴィス (Davis) に出張できている. 途中ロサンジェルスを経由したが,4 時間以上もまち時間があるうえに,のりつぎは容易でなかった. (容易でないから時間がとってあったのかもしれないが…)
カリフォルニアのデイヴィス (Davis) に出張できている. デイヴィス空港での宿泊については,あらかじめいろいろかんがえていたが,結局は Davis のシャトル・サービスの会社に予約していた. 多少の問題はあったが,どうにか深夜 1 時半ごろにはホテルにつくことができた.
カリフォルニアのデイヴィス (Davis) に出張できている. Davis はちいさなまちだが,会場である大学は敷地もひろく,建物も多い. ホテルから会場までのあいだには,いくつも興味をひくものがあった.
カリフォルニアのデイヴィス (Davis) に出張でやってきた. 今回は観光にあてる時間はほとんどないし,みる場所もあまりない. しかし,会議の会場への道すがらと,朝の時間の散歩で,まちのようすをある程度,把握した.
SDN NGAS ワークショップという学会で発表するため,カナダのナイアガラ・フォールズ (Niagara Falls) にきた.
SDN NGAS ワークショップという学会で発表するため,カナダのナイアガラ・フォールズ (Niagara Falls) にきている. ナイアガラにいくにはアメリカのバッファロー (Buffalo) 経由とカナダのトロント (Toronto) 経由があるといわれ,バスにのる時間がみじかいバッファロー経由にした. 比較的短時間だからどうにでもなるだろうとかんがえていたが,ちょっとあまかった.
SDN NGAS ワークショップという学会で発表するため,カナダのナイアガラ・フォールズ (Niagara Falls) にきている. 学会がひらかれるのはアメリカとの国境がある Rainbow Bridge のほぼ正面にある Crown Plaza というホテルだが,ここはたかすぎるようなので,Michael's Inn Fallsview Hotel というホテルを予約していた.
SDN NGAS ワークショップという学会で発表するため,カナダのナイアガラ・フォールズ (Niagara Falls) にきている. ついたのは 3 時すぎなので,つかれていることもあり,その日はやっと夕食をたべて水を買ったくらいでおわった. 夕食は中華料理屋にはいったが,はずれだった.
SDN NGAS ワークショップという学会で発表するため,カナダのナイアガラ・フォールズ (Niagara Falls) にきている. Michael's Inn Fallsview Hotel というホテルにとまっているが,インターネット・アクセスはおそろしくわるい.
SDN NGAS ワークショップという学会で発表するため,カナダのナイアガラ・フォールズ (Niagara Falls) にきている. きょうはレジストレーションだけなので,朝から滝をみてきた. ホテルは西側にあるので,まずアメリカ滝,それからカナダ滝をみることになる. さらにさきまでいって,発電所までみてきた. 天気はよいのだが,そのあたりは滝でできた雲から雨がふっている.
SDN NGAS ワークショップという学会で発表するため,カナダのナイアガラ・フォールズ (Niagara Falls) にきている. ホテルはアメリカにつづく Rainbow Bridge の東側にあるが,滝のある西側のほうが店があつまっている. Victoria Avenue とそれにつづく道にはアトラクションもいろいろあるが,レストラン,みやげもの屋など,いろいろな店がある.
SDN NGAS ワークショップという学会で発表するため,カナダのナイアガラ・フォールズ (Niagara Falls) にきている. ナイアガラのまちをあるいていて気になったレストランのひとつが,パキスタン料理の buffet 屋だ. そこで,18 時まえにこの店にはいってみた.
SDN NGAS ワークショップという学会で発表するため,カナダのナイアガラ・フォールズ (Niagara Falls) にきている. 3 日間なのだが,最後の日は学会では食事をいっさい用意していなかった. 朝食は会場に用意されているものとおもっていたのがなかったので,さがしまわるはめになった. このあたりには看板に breakfast をかかげている店が多いので,昼も breakfast をたべた. 夜はひさしぶりに Outback のステーキをたべたが,だいぶたかかった.
SDN NGAS ワークショップという学会で発表するため,カナダのナイアガラ・フォールズ (Niagara Falls) に出張した. 学会がおわったつぎの日,きたときと同様に Rainbow Bridge でアメリカに徒歩でわたり,アメリカ側からも滝をすこしみてからバスをバッファロー市内でのりついでバッファロー空港までいった. 市内観光もすこしできるだけの時間をとっていたつもりだが,トイレさがしで時間を食って,みたいところにいけなくなった. シカゴ行きの便はシカゴが悪天候のため 2 時間くらいおくれたが,のりつぎに問題はなかった. いずれにしても,おおきな問題はなく,かえりつくことができた.
ナイアガラに出張してからおよそ 1 ヶ月たったが,いそがしくて,写真はこれまでほうってあった. 写真をブログにいれられるように加工して,みてみると,これまで気づいていなかったところに気づく.
22nd GENI Engineering Conference (GEC 22) という会議でデモをするためにワシントン DC に出張した.
22nd GENI Engineering Conference (GEC 22) という会議でデモをするためにワシントン DC に出張した. 宿泊費を節約する必要があって,Park Lodge という比較的やすいところにとまった. いろいろとまどうことがあったが,致命的なのは暖房だった. まださむいこの時期に暖房がきかない…
22nd GENI Engineering Conference (GEC 22) という会議でデモをするためにワシントン DC に出張した. ホテルの最寄駅 Columbia Heights のちかくにある電気屋 Best Buy にはいってみた. 大画面のテレビがならんでいるが,値段はさまざまだ. とくに高価なのは Samsung の湾曲した 4k テレビだ.
22nd GENI Engineering Conference (GEC 22) という会議でデモをするためにワシントン DC に出張した. 会議場とホテルのちかくをむすぶ地下鉄が L'Enfant Plaza という駅をとおるので,そこでおりて スミソニアン博物館周辺をあるいてみた. 議会をふくめてそこらじゅうが工事中になっている.
アメリカで人気のあるりんごは Jonathan (紅玉) かとおもっていたが,ワシントン DC のスーパーマーケットでは Fuji が大量に安売りされていた. もちろんほかのりんごもあったが,ほかの品種はよくわからない.
22nd GENI Engineering Conference (GEC 22) という会議でデモをするためにワシントン DC に出張した. ワシントン DC の南のほうには桜がたくさんあって,ちょうど桜まつりをしている. そこで,桜をみにいってきた.
22nd GENI Engineering Conference (GEC 22) という会議でデモをするためにワシントン DC に出張した. 学会がおわったあと桜をみにいったが,そのあと,ワシントン記念塔までやってきた. そこから (もう 3 回めなので,いかなくてもよいのだが) リンカン記念堂までいき, ホワイトハウスの横をとおって北北東方向にむかった. Logan Circle というあたりが建築的におもしろいという情報をえたので,そこをとおってホテルのちかくまであるいてみようとかんがえたのだ.
22nd GENI Engineering Conference (GEC 22) という会議でデモをするためにワシントン DC に出張した. このまちのなかを移動するには地下鉄が適している. しかし,きっぷの買いかたや駅の内装やら,いろいろ不都合を感じるところがある.
22nd GENI Engineering Conference (GEC 22) という会議でデモをするためにワシントン DC に出張した. とまったホテルはスミソニアン動物園のすぐそばだ. 動物園にとくにいきたいわけではないし,時間もほとんどないのだが,かえりの日の朝にちょっとだけいってみた.
22nd GENI Engineering Conference (GEC 22) という会議でデモをするためにワシントン DC に出張した. 会場ちかくの Crystal City に靴の修理屋があった. みると,そこには 4 台くらいの 3D プリンタ (MakerBot) がならんでいるではないか ! アメリカでは靴の修理に 3D プリンタをつかっているのか !
1980 年代からつづいている 3D 印刷の学会である SFF シンポジウムで発表するため, 真夏のテキサス (オースティン) にでかけたので,オースティンと学会のことを項目にわけて書く. 2 年まえにはポスター発表のためにやってきたが,今回は口頭発表だ. 2 年まえにまちをひととおりみたので,今回は 39℃ のなかをあるくのは最低限にしたい.
1980 年代からつづいている 3D 印刷の学会である SFF シンポジウムで発表するため, 真夏のテキサス (オースティン) にでかけた. 国際線には ANA を利用したが,ビジネスにアップグレードされて,これまでにない経験をした.
1980 年代からつづいている 3D 印刷の学会である SFF シンポジウムで発表するため, 真夏のテキサス (オースティン) にでかけた. いきの ANA の到着がおくれて,いろいろとめんどうなことになった.
1980 年代からつづいている 3D 印刷の学会である SFF シンポジウムで発表するため, 真夏のテキサス (オースティン) にでかけた. くるまは借りていないので,とまった Ace Motel のちかくのレストランを物色した. よさそうな店はあるが,夕方には混雑していた. Hoover’s Cooking という店でとんかつをたべたが,そこそこだった.
1980 年代からつづいている 3D 印刷の学会である SFF シンポジウムで発表するため, 真夏のテキサス (オースティン) にでかけた. 初日は夜 9 時すぎに寝て,朝は 4 時におきてブログなどを書いてみたが,Ace Motel のインターネット・アクセスはやはりにぶかった.
1980 年代からつづいている 3D 印刷の学会である SFF シンポジウムで発表するため, 真夏のテキサス (オースティン) にでかけた. 2 日め (土曜日) は 1 日間拘束なしだったが,あついので近場のレストランなどにいくだけにした.
1980 年代からつづいている 3D 印刷の学会である SFF シンポジウムで発表するため, 真夏のテキサス (オースティン) にでかけた. 3 日めは日曜日だったが,あついので,あいかわらずほとんどホテルからでなかったが,昼食・夕食のためにすこしそとにでた.
1980 年代からつづいている 3D 印刷の学会である SFF シンポジウム (Solid Free-form Fabrication Symposium) で発表するため, 真夏のテキサス (オースティン) にでかけた. 金曜日についたので,学会がはじまる月曜日までがながかったが,ようやく初日をむかえた. あすはボートにのることになっているが,きょうはさっそくにバンケットがある. どちらも 2 年前とおなじだ.
1980 年代からつづいている 3D 印刷の学会である SFF シンポジウムで発表するため, 真夏のテキサス (オースティン) にでかけた. 今回の SFF シンポジウムではプラステイックに関するセッションが 3 日間をとおしてあったので,2 日めの午前はナイロンとポリマー,午後は extrusion とリトグラフのセッションをきいた.
1980 年代からつづいている 3D 印刷の学会である SFF シンポジウムで発表するため, 真夏のテキサス (オースティン) にでかけた. 2 日めの最後に Colorado River のクルーズがある. 毎年恒例の行事だが,今年はこれに全員のれないというハプニングがあった.
1980 年代からつづいている 3D 印刷の学会である SFF シンポジウムで発表するため, 真夏のテキサス (オースティン) にでかけた. 2 日めの行事である川のクルーズのときに私に話しかけてきた男がいたが,話の結果,あらためて感じたことがある. あたらしい 3D 印刷法をかんがえて,それによってつくった作品を売りたいなら,そのすごさがすぐわかる作品をつくる必要があるということだ.
1980 年代からつづいている 3D 印刷の学会である SFF シンポジウムで発表するため, 真夏のテキサス (オースティン) にでかけた. 今回の SFF シンポジウムではプラステイックに関するセッションが 3 日間をとおしてあったので,3 日めの午前はポリマーの extrusion とインクジェット,午後は 自分の発表をふくむ,あたらしいプロセスと混合プロセス (Process Development VIII: New and Hybrid Processes) のセッションをきいた.
1980 年代からつづいている 3D 印刷の学会である SFF シンポジウムで発表するため, 真夏のテキサス (オースティン) にでかけた. きのうは鳥が交通事故にあう現場をみたが,きょうは鳥が 2 羽,ねずみらしき動物が 1 匹,事故にあっているのをみた. 全部ホテルのまえのみちだ.
1980 年代からつづいている 3D 印刷の学会である SFF シンポジウムで発表するため, 真夏のテキサス (オースティン) にでかけた. 自分の発表は最終日の午後一だ. 事前にはいろいろ発表の方法などをかんがえていたが,おもったようにはいかなかった.
SFF シンポジウムに参加して,Printrbot という 3D プリンタをとりあげた発表がいくつもあることがわかった. Printrbot は私が最初にくみたてた 3D プリンタだが,くみたててみて,設計のまずさには閉口した. その後 Printrbot がやってきたことをみると,使用者の便宜はまるでかんがえていないようにみえる. にもかかわらず,当時とくらべるとはるかに種類がふえた 3D プリンタなかで Printrbot の人気があいかわらずたかい理由が私にはわからない.
オバマ大統領の広島訪問は日本ではおおくのひとの感動をもってうけとめられたといってよいだろう. 批判的な意見はすくないようにみえる. サミットの成功とともに,これは外務省の勝利といえるだろう. 2009 年,オバマがノーベル賞をもらった年の洞爺湖サミットのときから日本は広島訪問の打診をうけていたというが,それを日本でのつぎのサミットまで延期することで成功確率をたかめたのだろう.
今月末でこれまでつとめてきた会社を退職するが,会社での最後から 2 番めの仕事を Vancouver でひらかれる IJCNN 2016 という学会で発表するために,最後の出張をした.
最近は会社の海外出張がないので United のゴールド資格をうしなっていたことに気づいた. それほど不便はないが,できなくなったこともある.
最近まで,海外でもキャッシングができる三菱東京 UFJ 銀行のカードをつかってきた. ところが,三菱はながらくやっていなかったデビットカードのサービスをはじめると 同時にこのキャッシュカードのサービスをやめてしまった. デビットカードの契約はしていないので,海外ではクレジットカードしかつかえなくなった.
Vancouver 空港には市内にいける電車の駅があるのはよいが,その券売機に 私もふくめて,ひとびとはふりまわされていた. 故障だらけだ.
Vancouver への出張でとまるホテルを予約するのがおくれて,はずれのホテルしか とれなかった. 会場近くのホテルとくらべると数分の一の room rate だが,会場までなんとか歩ける距離であり, 到着日には駅からあるいたが,そうわるくはないとおもう.
Vancouver に到着した日,着いたのが夕方なのであまり時間はなかったが,夏なので 日没は 9 時くらいであり,チャイナタウンをあるきまわるには十分だった.
Vancouver の北東側は海岸のそばを鉄道がとおっているので,海岸にでられる道が かぎられている.ホテルからすこし西にある Main St. という道は鉄道をこえられる かぎられた道のひとつだ. そこをとおって,海岸ぞいに WCCI 2016 の会場である Convention Center をめざした.
アメリカはシリアのアサド政権が化学兵器をつかった攻撃をおこなったとして,シリアの軍事基地をミサイル攻撃した. しかし,化学兵器がつかわれた可能性が非常にたかいとしても,それをやったのがシリア軍だという証拠は十分でないようにみえる. 不法に大量破壊兵器を開発したとしてイラクを攻撃したブッシュのやりかたに似ているようにおもう. 「アメリカファースト」のトランプはどこにいったのか?!
螺旋 3D 印刷技術を使用してつくったこのような「3D デザインランプ」を 3d-dl.com で売っています.