東北地方太平洋沖地震がもたらした津波は人工物をことごとく破壊した. それによってのこされたのは瓦礫という醜悪なものたちだ. しかし,津波は同時に砂をはこんで造形し,津波の水はさまざまなかたちの池をつくった. そこには美をみることもできる. この対比はなにかをかたっているのではないだろうか?
仙台,石巻,気仙沼をおとずれて,瓦礫の写真をいやというほどとってきた. 仙台については 「5 月 2 日の仙台の海岸付近のようす」,石巻については 「4 月 29 日の石巻港付近のようす」,気仙沼については 「5 月 1 日の気仙沼のようす」 に書いてきた.
石巻と気仙沼に関しては,津波はただそこにあるものを破壊して死者,負傷者と瓦礫をのこしただけにみえた. しかし,仙台では津波と砂,風がつくったちいさな地形たち,津波の水がつくったさまざまな水たまりをみてきた.
これらは,まちの復興とともにきえさる運命にあるとかんがえられるが,醜悪な瓦礫とはちがう,あらたな造形であり,そこには美をみることができる. 人工物はこわされると醜悪な瓦礫をつくるだけだが,自然物はこわされてもまた美をつくる.
これは,これから我々がむかうべき道をさししめしているとはいえないだろうか? また,石原慎太郎都知事は東日本大震災に関して 「日本人のアイデンティティーは我欲. この津波をうまく利用して我欲を 1 回洗い落とす必要がある. やっぱり天罰だと思う」 といった. 彼がいおうとしたこととも関係があるのではないだろうか.
震災後,被災者救援ばかりに目がむきがちだ. しかし,もっと長期的なことをかんがえるには,こういうところにも目をむけたほうがよいようにおもう.
おことわり: これらの写真や文章がもし万一,被災者の方にネガティブな感情をおこさせてしまうことがあるとすれば,たいへんもうしわけありません.