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情報通信博物館, 言語・コミュニケーションとネットワーキング

コミュニケーション・メディアのつみかさねとフュージョン ― いままでおこらなかったフュージョンがこれからおこる (?)

新聞や雑誌は比較的ふるくからあるコミュニケーション・メディアですが,19 世紀後半以来,電話,ラジオ,テレビなど,さまざまなコミュニケーション・メディアが発明されてきました. 20 世紀後半にはさらにインターネットが普及し,メイル,Web などのメディアが発展してきました. これら,メジャーになったコミュニケーション・メディアは,あたらしいメディアがあらわれてもきえることはなく,つぎつぎにつみかさねられて (piled) きています. 今後もおなじことがくりかえされていくのでしょうか?

これまで,このようにあたらしいメディアがふるいメディアを駆逐したり吸収したりすることがなく,つぎつぎにつみかさねられてきた理由はなんでしょうか? それは,ふるいメディアにもそれぞれ,よさがあり,あたらしいメディアですっかりとってかわることができなかった,そしてあたらしいメディアがふるいメディアの機能やつかい勝手を完全にとりこむことができず,したがって,それらにとってかわることができなかったからではないでしょうか? つまり,それらのあたらしいメディアはいずれも,ふるいメディアにとってかわれるほど,やわらかくなかったということです.

また,まだメディアの数がそれほどおおくなかったということもあるでしょう. 新聞,電話,ラジオ,テレビくらいなら,1 日のうちでもつかいわけられます. しかし,そこにメイルと Web がくわわり,これからさらにあたらしいメディアがくわわっていくとしたら,なにかを捨てないかぎり,あたらしいものをとりこむ余地はなくなるのではないでしょうか?

一方,コンピュータがコミュニケーション・メディアにつかわれるようになって,コミュニケーション・メディアはやわらかくなったとかんがえられます. まだいまのところは十分に洗練されていないので,ひとつのメディアで他のすべてをカバーするようなことはできませんが,それはたぶん時間が解決してくれるのではないでしょうか? コンピュータをうまくいかしてつかえば,あたらしいコミュニケーション・メディアを開発することができるだけでなく,従来からあるさまざまなコミュニケーション・メディアを改良したうえで統合していけるのではないでしょうか?

ネットワークについていえば,IP ネットワークがその統合の舞台になるはずです. それがインターネット上でおこるのか,NGN (Next Generation Network) 上でおこるのか,それとも第 3 のネットワーク上でおこるのか,それはよくわかりませんが…

そういう,さまざまなメディアが統合される再編の時代,キャッチフレーズ的にいえばメディア・フュージョン (media fusion) の時代がちかづいているように,私にはおもえます.

追記:
この問題については 「メディア・フュージョン ― それを阻止するものと促進するもの ―」 においてさらに考察しています.

キーワード: Media fusion, Media piling

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