「コミュニケーション・メディアのつみかさねとフュージョン」 のなかで,これまで,とくに 19 世紀後半以降,電話,ラジオ,テレビなど,あたらしいメディアがつぎつぎにあらわれてきて,従来のメディアのうえにつみかさねられてきたということを書きました. しかし,固定電話が携帯電話によってとってかわられようとしていることは,これまでの単純なつみかさねとはすこしちがっているようにみえます. また,地上波のテレビ放送がアナログからデジタルに転換されようとしていることは,政治的なちからがはたらくことによって,これまでの 「つみかさね (piling)」 になることを阻止しようとしています. 固定電話に関しても,NGN の登場によって,これまでとは質的にちがった変化がおこることが予想されます. 「コミュニケーション・メディアのつみかさねとフュージョン」 のなかではこうした具体的なメディアの変化についてかんがえなかったので,ここでそれをかんがえてみたいとおもいます.
まず電話についてかんがえてみましょう. 携帯電話は電話であるという点においては固定電話とおなじものでしたが,既存の機器との互換性を考慮する必要がなかったので,自由に設計することができました. そのため,ユーザインタフェースとしては従来の電話のそれをほとんどそのまま踏襲しながら,通信規格としてはまったくことなるものを採用することができました. このような“中途半端” なものであるために,携帯電話は固定電話と共存しながら,しかもそれをおきかえていきました. 電話に関しては,ほかに NGN の登場という話題もありますが,これについては放送のあとに検討しましょう.
つぎに,放送についてかんがえてみましょう. ラジオやテレビの放送が開始されたときと互換性をたもつかたちでつづけられてきたことに関して,山田 肇 は 「ネットがテレビを飲み込む日」 (洋泉社, 2006) のなかでつぎのように書いています.
「ラジオ放送の世界では,30 年から 40 年に一度しか,大きな技術的変化は起きていない.
一つの理由は,消費者への影響に対する懸念である. 技術変化は,消費者にラジオの買い換えを強いるが,それが消費者に拒絶されると,市場として成立しなくなる.
しかし,これを恐れるあまり,AM なら 80 年前,FM なら 40 年前の規格のままで,放送が続けられる結果となった.
その間の情報通新分野における技術進歩には,計り知れないものがある. しかし,そんな技術進歩をいっさい取り入れることなく,技術は固定化された.」 (p. 49)
山田はテレビについても同様のことを指摘しています. 地上波アナログはこれまで 50 年にわたって互換性にしばられてきたということです. しかし,ラジオのばあいとはちがって,テレビにおいては,最近,地上波デジタルが登場しました. 地上波アナログと地上波デジタルとのあいだには,固定電話と携帯電話のような中途半端な関係はありません. 地上波デジタルは機能的にも,ユーザインタフェースのうえでも,地上波アナログのそれらをおきかえるべきものです. また,日本では政策的にも地上波アナログは 2011 年に完全に地上波デジタルによっておきかえられるべきものとされました. そのため,ここではじめて明確に 「つみかさね」 が否定されています. この政策がほんとうに成功するのかどうかはまだわかっていませんが,地上波アナログ停波にむけてさまざまな施策がとられています. つまり,ここでは 「つみかさね」 ではなく 「フュージョン」 がめざされているわけです.
電話に関しては,上記のような固定電話が携帯電話によって置換されるながれとともに,両者をささえるネットワークが NGN (Next Generation Networks) によって置換されるといううごきもあります. NGN は従来の電話網をおきかえる目的で開発されているものであり,従来の電話網との関係は携帯電話と固定電話のような中途半端なものではありません. 地上波デジタルと地上波アナログとの関係ににているということができるでしょう. つまり,ここでも 「つみかさね」 ではなく 「フュージョン」 がめざされているわけです.