以前,遠隔会話のためのメディア voiscape (ヴォイスケープ) に関係してテレビ朝日のひとの話をききにいったことがあります. そのときにきいたのは,表現者 (映像作家) はフレーム (わく) のなかに視聴者の注意をひきつけて,表現したものをそのままみてほしいということでした. これに対して,イベント・プロデューサーの 平野 勝臣 は映像についても観客が自分で選択して見るしかけをつくっています. 通常の映像作家と “イベント作家” とのちがいを感じさせる話です.
テレビ朝日のひとの話によれば,表現者にとってはフレームがあることが重要である,テレビはフレームがあることによってそのなかに視聴者の注意をひきつけることができるということでした. つまり,フレームがなければ視聴者はどこをみるか,わかりません. 音についても同様であり,複数の音を同時にきかせることができる voiscape というメディアは,表現者の意図しないところに注意がむけられることになり,表現者にとってのぞましいものではないということで,voiscape はよい評価をうけることができませんでした.
これに対して,平野 は 真木 勝次 との対談集 「イベントの底力」 (日経 BP, 2002, p. 56) のなかでつぎのようにいっています.
観客 1 人ひとりが,展示に触れて自分なりのストーリーやイメージを組み立てることができるようにしたい,そういう土俵を準備することがぼくたちの仕事なんだと思っているんです. 例えば,リスボン博の日本館では,大きなダブルスクリーンに 4000 カットの写真と 90 分のビデオ映像を 13 分の中に押し込んだマルチイメージの展示を創りました. こうなると,スクリーンの前に立った人間は,一度に全部は見られないから,何を見るかを自分で選択せざるを得ない. 当然,来るたびに違うものを見ることにもなります. つまりは,偶然も含めて,観客 1 人ひとりが自分だけのイメージを創っていく仕組みで,いわゆる教材ビデオとは全く逆の構造にしたんです.
フレームがきられた世界からぬけだしたい私は,これから,イベント作家の作品にふれ,書いたものをよむ機会をふやしたいとかんがえています.