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社会・経済, 言語・コミュニケーションとネットワーキング

コミュニケーションの訓練が感情のいきちがい,殺人事件をふせぐ ?!

最近,国内でおこるいろいろな刺殺事件・通り魔事件などがマスコミをにぎわせています. 秋葉原 で 6 月 8 日におこされた無差別殺傷事件7 月 19 日に埼玉県川口市で中学 3 年の長女が 46 歳の男性会社員を刺殺された事件7 月 22 日に京王八王子の書店で女性 2 人が刺された事件をはじめ,他にも多数ありました. このような事件がおこる背景に,親族やなかまとのコミュニケーションがうまくいっていないことがあるようにおもいます. 日本でも欧米的な個人主義がひろがっているなかで,コミュニケーションに関してももっと欧米のやりかたをとりいれるべきなのではないでしょうか?

これまでの日本では自分のかんがえや意志をきちんと相手につたえる訓練が十分にできていませんでした. 同質のひとびとがあつまったコミュニティのなかでは,はっきりとかんがえや意志をつたえなくても理解される,そのためにそういう訓練がおろそかにされてきたのだとかんがえられます.

しかし,こうした同質のひとびとからなるコミュニティは崩壊し,それぞれちがったかんがえかたをもつ個人主義的なひとびとが日本でもふえてきているわけです. こういう状況のもとでは,コミュニケーションの訓練がもっと必要になっているのではないでしょうか? しかも,直接会話とメイルなどのリテラシーの両方が必要とされています.

コミュニケーションの訓練として必要なのは,自分のかんがえや意志を直接的につたえることだけではありません. 日本の教育などではあまり重視されていないが欧米でもっと重視されているものとして,ユーモアや冗談のセンスをみがくことがあげられるでしょう. 相手が自分とちがうかんがえをもっているとき,論理だけではうまくいきません. 直接的な主張だけでは感情的にうまくいかなくなるようなばあいに,ユーモアや冗談のセンスがあれば,もっとうまくいくでしょう.

また,つねにストレートにかんがえることは余裕のなさとつながっています. 余裕がないからストレートに主張するということもあるでしょうが,ユーモアや冗談をかんがえることが余裕がうみだされるばあいもあるでしょう. こうした余裕をもてば,相手にも余裕をあたえることができるでしょう.

このように,日本人がもっているコミュニケーションの技術についてかんがえなおすことが,これからの日本の社会を改善していくためにぜひ必要なことだとおもいます.

関連項目 (2008-11-10 追記):

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