私が子供のころには,21 世紀になると人間はきつい仕事をしなくてすむようになり,もっと便利になるという夢がよく,かたられていた. すわったままで部屋の内外のいろいろなものをボタンひとつで操作することができるので,あまりうごかなくてもよくなる. そうじ,洗濯などもロボットなどがやってくれるので,人間はしなくてもよくなる,などなど. たしかに,洗濯機は乾燥までしてくれるようになったなど,そういう世界にちかづいた部分はある. しかし,すべてをコンピュータやロボットがやってくれるというような環境は実現していない. そういう環境は人間を怠惰にし,バカにする,ありえないものだ.
比較的最近になっても,たとえば Intel の proactive computing といったかんがえかたは,こうした 「怠惰な未来」 をさらにおしすすめていたようにおもう. 人間はボタンをおしたり,かんがえたりする必要もなくなって,みんなコンピュータがさきまわりしてやってくれる,ということになっていた.
しかし,かんがえること,意志をしめすことはもちろんのこと,からだをうごかしていろいろな作業をすることは,人間にとって必要なことである. それが知能の源泉だといってもよい. すべてをいままでどおり,あるいは過去にやってきたようにやるのが一番よいということではないが,うまくバランスをとっていく必要があるだろう.
かつてえがかれていたような 「怠惰な未来」 は実現していないが,危惧を感じることもある. 「駅の階段を避け,エスカレーターに列をなす不思議なひとびと ― その危険 !」 という項目にも書いたように,駅などでエスカレーターが普及して,ひとびとは下りのエスカレーターにさえも列をなしている. 私にはなぜそうなるのか理解できないのだが,「怠惰な未来」 が部分的に実現されているのだとも解釈できる. そうだとすると,注意を要する現象である.