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メディア・アート・イベント・エンターテイメント:音楽評

山田耕筰の長唄交響曲 「鶴亀」 ほかの作品集

山田耕筰 (Kósçak Yamada) の長唄交響曲 「鶴亀」 などをおさめた CD,Naxos 8.557971J をきいた. 他に 2 曲,いずれも,これまできいたことがなかったとおもう. 「鶴亀」 は日本の古典音楽と西洋のオーケストラとをくみあわせた,はしりのような曲だが,オーケストラのない部分のほうが安心してきける気がしてしまう. この曲がもっともあたらしいが,むしろ舞踊交響曲 「マグダラのマリア」 (1916) や交響曲 「明治頌歌」 (1921) のほうが魅力的にひびく.

8.557971J.jpg 長唄交響曲 「鶴亀」 (1934) はその名のとおり,長唄にオーケストラをつけた曲である. 長唄の間 (ま) のなかにオーケストラの連続的なひびきがはさまりこんで,間でなくしてしまっているようにきこえる. また,この音楽はあまりにもロマン派的すぎるのではないだろうか? しかし,一方で三味線だけのはやい部分などは,オーケストラの音とうまくとけあっているようにもきこえる. 初期のこころみとしては成功しているのかもしれない.

交響曲 「明治頌歌」 (1921) は耕作が 30 代のときの作品だが,やはりどこかできいたひびきがつぎつぎとあらわれてくる感じである. 個性がどこかにあるのかはわからない.

舞踊交響曲 「マグダラのマリア」 (1916) は耕作が 30 歳くらいのときの作品である. ワグナーやリヒャルト・シュトラウスに影響された劇的な音楽は耕作の本領を発揮しているといってよいだろう.

追記:
この CD 付属の日本語の解説は特異的に長い. 英語の部分まであわせると 24 ページもあり,かつ,ぎっしり書かれている. その解説によると,耕作は長唄において三味線がかなでるのが基本旋律であり,うたはオブリガート (助奏) だという. だから,うたをいわば無視してオーケストラをかなでている,したがって,うたをだめにしているようにきこえるということだろう.

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