出版社,とくに,しにせの出版社はおおかれすくなかれ,教養主義にささえられてきたといってよいだろう. だから,最近の教養主義の後退は,あらたなながれに身をまかせた会社をのぞいては,こうした出版社にとってきびしいものだったにちがいない. 金融資本主義が後退した今後の世界において教養主義はどうなっていくのだろうか. この点で 2 つの対立する意見があるようだ.
大前 研一 は 「「知の衰退」 からいかに脱出するか?」 という著書のなかで 「いわゆる教養主義は 1970 年前後に消滅し」 たと書いている. それに対して従来は 「新自由主義」 を信奉していた 中谷 巌 は 「資本主義はなぜ自壊したのか ― 「日本」 再生への提言」 のなかで金融資本主義崩壊後の指針を古典的な教養のなかにもとめている.
コンピュータや金融工学を応用した複雑な 「技術」 がつかわれるなかで人間の能力とくに直観的な把握が軽視されてきたようにおもえる. このことはファーガソンが 「技術屋の心眼」 において指摘していることと符合している. コンピュータの世界でも感性や感情といった人間固有の能力が注目されるようになっている. いわゆる教養もコンピュータにはまねのできない人間の能力をたかめるものであり,こうした人間復権のながれのなかで復権すると信じることができる.