私は米国の大学に派遣されたこともあり,国のプロジェクトなどに出向したこともありましたが,基本的には企業研究者です. 企業研究者は研究とビジネスを両立させるのが理想だと基本的にはかんがえています. これまでたずさわってきた各研究テーマについて,ビジネスとの関係をふりかえってみたいとおもいます.
研究とビジネスとを両立させるべきだといっても,実際にはなかなかそのとおりにはいきません. 研究らしい研究はなかなかビジネスにはつながりにくいし,ビジネス優先だと,どろくさい仕事に時間をとられたり,研究成果をあげてもそれをノウハウとしてまもらなければならないときには学会発表できなかったりということがあります. また逆に,とくにバブル時代には会社の研究所のなかに,研究が直接ビジネスにつながらなくても会社の宣伝になればよいというかんがえかたがつよくて,私自身もそういうかんがえにしたがって研究していたこともあります.
私が入社して最初にとりくんだ仕事はスーパーコンピュータ (ベクトル計算機) で Fortran プログラムが実行できるように変換し最適化する方法を開発すること (ベクトルのためのプログラミング言語処理) でした. この仕事は会社が開発していた S-810 というスーパーコンピュータ製品に直結するものでした. 当時,私はまだ論文の書きかたも十分にマスターしていなかったので,研究成果を十分なかたちで世におくりだすことはできませんでした. しかし,この研究は研究リーダーだった安村さん (現慶応大教授) 中心の ICPP の論文 につながり,また情報処理学会全国大会で発表しているので,(事業収支はともかくとして) ビジネスと研究を両立させることができたということができます.
論理 / 記号 ベクトル処理の研究は,Fortran のために開発した技術を非数値処理 (記号処理) にいかそうという意図をもって,私が会社に提案してはじめた研究です. ビジネス上の目的としては,Fortran コンパイラと同様にベクトル計算機の適用範囲をひろげることにありました. Fortran とはちがってベクトル計算機に適用することがむずかしい論理型言語や記号処理があつかえるようにする必要があったので,たかい成算があったわけではありません. また,目標が達せられたとしても,それほどおおきな利益がえられるともかんがえてはいませんでした. つまり,会社の技術力をたかめることが間接的にビジネスの拡大につながることを期待していました. しかし,結果的にはそういう意味においてもビジネス的に成果をあげたとはいえませんでした.
化学的計算のモデル (CCM) も私が会社に提案してはじめた研究です. 私の研究テーマのなかでももっともビジネスからとおいテーマでした (つまり,ビジネスとの関係を説明できなかった) が,提案時はまだバブルがはじけるまえであり,時代的にこのようなテーマでもみとめられたのだとおもわれます. このテーマはその後,私が国家プロジェクトの RWCP (Real-World Computing Partnership) に出向して,そこに場をうつして継続しました. これは,私が提案したわけではなく,あるいきさつがあってそうなったのですが,バブルがはじけたあとの先物研究のあつかいとして妥当だったとかんがえられます.
ランダムな非同期セル・オートマトン (RACA) は CCM の副産物だったのですが,CCM が実用的な計算をめざしたモデルだったのに対して,これは複雑系的な興味による研究であり,実用はまったくかんがえていませんでした. RWCP にいたので,会社のビジネスについてかんがえる必要はありませんでした.
RWCP から会社に復帰したときには,もはやビジネスにつながりにくい研究をすることはかんがえにくくなっていました. 電子商取引や,AltaVista のような Web の検索エンジンが注目されるようになっていて,Web 上の検索やデータマイニングというような方向の研究を模索しましたが,結局はちょうど社内でもちあがっていた百科事典の仕事をすることにおちつきました. 百科事典の検索は Web の検索とはちがいますが,共通する部分もあります. 単純な項目・索引検索や全文検索の技術はすでにあったので,もっとおもしろい検索法を開発することが目的であり,研究とビジネスの目的がかさなりあっていました. そこでかんがえだしたのが軸づけ検索 (テーマ検索) でした. しかし,結局は単純な検索より人気のたかい検索法に発展させることはできず,ビジネスとして成立はしたものの,会社の利益に貢献することはできませんでした.
その後,ネットワークの仕事をあたえられて,おもわぬ方向転換をすることになりました. ポリシーにもとづくネットワーキングと QoS 保証というテーマは IPA (当時の名称は情報処理振興事業協会) の仕事としてはじまりましたが,やがて HP 社との協業 (collaboration) による PolicyXpert というポリシーサーバ製品の開発につながっていきました. QoS ポリシーの研究をはじめて以来,私のおもな興味は「ポリシーのくみあわせ」というところにありましたが,それがこの製品において重要だとかんがえたため,研究とビジネスの目的をあわせて達成しようとしました. HP 社側は研究所がからまなかったので,私と仕事をしなければたぶん一生,論文の著者になることはなかったであろう HP 社のプログラマと連名でジャーナル論文まで書くことになりました.
仮想の "音の部屋" にもとづくコミュニケーション・メディア voiscape も私が会社に提案してはじめた研究開発ですが,このときには研究とビジネスとの両立をめざし,かつ私としてはビジネスのほうに力点をおいていました. 他の予算がとれなかったということもありますが,いわゆるインキュベーション的なやりかたをとりました. いまのところビジネスとしてはうまくいっているとはいえず,かなりの赤字をだしてはいますが,ゼロではない実績があります.