岩村暢子の 「普通の家族がいちばん怖い」 (新潮社) という本には,アンケートの結果をもとに,現代の主婦から正月はきらわれクリスマスが好かれていることがえがかれています. クリスマスはたのしいが,正月はたのしくない. クリスマスにはケーキなどのおいしいものがたべられるが,おせち料理はこどもがおいしくないという. あと何 10 年かしたら正月をいわう伝統はすたれてしまうのでしょうか?
伝統的には正月はハレの行事でした. しかし,それがしだいにすたれることによって,生活がすっかり日常性におおわれてしまうのではないかと私はおもっていました. しかし,岩村はクリスマスがハレの行事となっているようすをえがいています. ハレがなくなるのではなくて,交代するということなのでしょう.
実をいうと,正月はわたしにとっても魅力がなくなってしまっています. おせち料理がおいしいものだとはおもえません (写真は Wikipedia から). 最近では何万円もするおせち料理を買っているのですが,それだけおかねをはらうのであれば,レストランで食事をしたほうがよほどよいようにおもえます. かつては正月には店がしまり,保存性のたかいたべものが必要だったので,おせち料理には実用的な目的もあったのだとおもいます. しかし,いまでは元旦からコンビニやスーパー・マーケットが営業しています. 保存食をたべる理由はもはやありません.
もし伝統行事としての正月をこれからもつづけていくべきだあるならば,なにか魅力あるものが必要です. それがなんであるべきなのか,いま私にはわかりません. しかし,それがみいだせなければ,いずれはすたれてしまうことになるのではないでしょうか?
関連項目:
「正月 ― うしなわれた非日常性と参加性 ―」 (2007-11-22 追記)