「大河ドラマの篤姫は副社長 ?!」 という項目で NHK の大河ドラマ 「篤姫」 が副社長のようだと書きました. その後,つづきをみて,原作を入手してみたところでは,このドラマは原作に,時代考証にしたがい,かつ現代にあわせた修正をくわえているようにおもえました.
原作は一部しか読んでいませんが,原作に登場する篤姫のほうがもうすこし 「ふつうの女性」 だという印象です. それでも,この篤姫が江戸時代にいたとすると,かなり浮いていただろうとおもいます. つまり,実際はそうでなかっただろうということです. この小説が書かれた時代において 「現代的」 な女性をえがいたのではないかとおもえます. それをいまドラマにするとしたら,現代においても 「女性副社長」 的な最先端な人物にした NHK のやりかたは正解かもしれません.
「ふつうの女性」 としてえがいたという意味のひとつは,小説の篤姫のほうがより肉体的な関係へのこだわりがあるようにみえるということです. 現代であれば医者にかかって不能であることがわかればあきらめもつくのでしょうが,それがわからないままなのも一抹の希望があってよいのかもしれません. Web 上でもドラマの篤姫のほうがそこにこだわっていないことを指摘している議論がありますが,そもそもこういう関係は 「プラトニック」 とよばれる ― このなまえの起源であるプラトンは紀元前のギリシャの哲学者であり,ブラトニックな関係は時代をこえたものです.
原作は時代考証といい,文体といい,残念ながらかならずしも十分に吟味されたものとはおもえません. ドラマではそれをできるだけ史実に忠実にととのえ,洗練されたドラマにしたてようとしているようにみえます. つけくわえられるものがあれば,ぬけおちるものもでてくるのはやむをえないとおもいます. このさき,原作になにがつけくわえられ,どの部分がいかされどの部分がけずられていくのか,原作をてもとにおきながらみるのも,おもしろいとおもいます.
関連項目 (2008-7-10 追記):