放送 アーカイブの説明
このカテゴリーには放送を中心とする話題をあつめています. 上位のカテゴリーは言語・コミュニケーションとネットワーキングです.
なお,このページは放送のページの先頭に表示されるように,意図的に投稿日時を 0001-01-01 00:00:00 としてあります (実際の投稿日時は 2007-11-22 22:05 です).
おもくなるのをさけるためにアーカイブのページには写真がはいらないようにしていますが,個別ページにある写真をここに引用しておきます.
このカテゴリーには放送を中心とする話題をあつめています. 上位のカテゴリーは言語・コミュニケーションとネットワーキングです.
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おもくなるのをさけるためにアーカイブのページには写真がはいらないようにしていますが,個別ページにある写真をここに引用しておきます.
ソニーのチューナー ST-A4 をずっと使用してきました. 最近は FM 放送をきくことがほとんどないのですが,いつでもつかえる状態にあります. ST-A4 はとくに性能がよいわけでもない安価なチューナーでしたが,おおきな同調ツマミと 2 つのメーターがついたスタイルへのこだわりによって買ったものです.
最近のテレビのリモコンにはだいたい,「アナログ」,「デジタル」,「BS」,「CS」 とかかれたボタンがあります. これで放送がきりかえられれば便利です. ところが,ケーブルでおくられてくる放送はこのボタンできりかえることができません. ケーブルテレビ専用のリモコンをつかわなければ,放送がうまくきりかえられません. このインタフェースは最悪です.
「コミュニケーション・メディアのつみかさねとフュージョン」 のなかで,これまで,とくに 19 世紀後半以降,電話,ラジオ,テレビなど,あたらしいメディアがつぎつぎにあらわれてきて,従来のメディアのうえにつみかさねられてきたということを書きました. しかし,固定電話が携帯電話によってとってかわられようとしていることは,これまでの単純なつみかさねとはすこしちがっているようにみえます. また,地上波のテレビ放送がアナログからデジタルに転換されようとしていることは,政治的なちからがはたらくことによって,これまでの 「つみかさね (piling)」 になることを阻止しようとしています. 固定電話に関しても,NGN の登場によって,これまでとは質的にちがった変化がおこることが予想されます. 「コミュニケーション・メディアのつみかさねとフュージョン」 のなかではこうした具体的なメディアの変化についてかんがえなかったので,ここでそれをかんがえてみたいとおもいます.
もうだいぶまえのことになってしまいましたが,2005 年の年末から 1 年間のあいだに,仕事で中国の杭州に 3 回ほどいきました. おもしろいものはいろいろありましたが,テレビもそのひとつでした. もっとホットなうちに書けばいろいろ書けたかもしれませんが,いまでも印象にのこっていることをかきとめておこうとおもいます.
この本の魅力的なタイトルにつられて買ってしまった. 私が知りたいのは今後 10 年あるいは数 10 年のスケールで放送・通信メディアがどう “進化” していくかということである. ところが,著者はギョーカイ通なので,ギャップフィラーという小型アンテナの話とか,民放の番組のスタイルとして NN, NL, LN, LL があるとか,こまかい話はいろいろ書いてあるが,全体がつかめる話はあまりない. アップルのアイチューン (iTune) もちょっと登場するが,単なるエピソードであり,それが “進化” とどうむすびついてくるのかについては書いてない. あまりに近視眼的なのではないだろうか.
評価: ★★★☆☆
関連リンク: 「新」メディア進化論@ , 「新」メディア進化論@Amazon.co.jp.
著者は,「デジタル・コンバージェンス」 つまり通信と放送の融合でもたらされる中心的なサービスはオンデマンド・テレビつまり VOD (Video On Demand) だという. 通信や放送によって現在でもリアルタイムの会話やイベントの共体験や,その他さまざまなことができる. 仮想現実 (virtual reality) の技術も発展してきている. それにもかかわらず,そういうこととは関係なく,「貸しビデオ屋から DVD を借りてきたり,YouTube でビデオを見たりするのと本質的にかわらないことしかできないのだとしたら,通信と放送の融合にどれだけの意味があるというのだろうか. 「衝撃」 どころか,退屈でしかたがない.
評価: ★★☆☆☆
本や雑誌記事はリファレンスとしてあつかうことができます. つまり,(理想化されてはいますが) タイトルや出版社,発行年月などを指定して参考文献として引用しておけば,いつでももとの本や記事にアクセスすることができます. これに対して,それらと同様に重要なメディアであるにもかかわらず,テレビ番組はリファレンスとしてあつかうことができません. ここに放送がかかえる致命的な問題があるようにおもわれます.
NHK 教育テレビに 「視点・論点」 という番組があります. 有名人,一流の研究者をはじめ,さまざまなひとが毎回ひとりずつ登場して,話をします. 最近,本を出版して話題になったひとが登場することがおおいようです. ここ何年かは,この番組をハードディスク・レコーダーにとっておいてよくみるのですが,その印象はまず,「直接,あるいはほかの番組できくとおもしろい話をするひとが,とてもつまならい話をする番組」 ということです.
通信にも放送にもリアルタイムのものがありますが,通信と放送とではリアルタイムといってもその意味がちがいます. それらをあわせもつメディアをつくることが通信と放送の融合ということなのではないでしょうか.
むかしにくらべてテレビがつまらなくなったと,よくいわれます. ほんとうにつまらなくなったのかどうかもよくわからないが,もしつまらなくなったとしたら,その理由はなんでしょうか? アメーバニュースの 「テレビってどーよ? 「つまらなくない!」 と TV マン」 (2007-7-29) には,生放送が減ったからつまらなくなった,“問題の無い” 番組づくりがつまらなくしているという要因が指摘されています.
この本には民放,携帯電話会社などの話題もあるが,政治ネタが一番おもしろい.郵政大臣だったときの田中角栄,島,海老沢をはじめとする歴代の NHK 会長の政治とのかかわりなど,功罪両面をとらえている.ハイビジョンが時間をかけすぎたために失敗したという指摘など,納得させられる.
評価: ★★★☆☆
関連リンク: 電波利権@ , 電波利権@Amazon.co.jp.
地上放送ではあまり問題がおこったことはありませんが,BS 放送でもケーブルテレビでも,放送がうまくみられなくなるような問題がいろいろとおこって,いやになります.
これは,「通信と放送の融合」 に関する本というよりは,コンテンツ政策に関する本である. 日本特有のポップカルチャーがうみだすコンテンツに目をむけ,それをいかすコンテンツ政策を提言している. 通信と放送との区分は日本特有の法制からくるものである. イギリスのコンテンツ配信事業者からは 「伝送方式で制度の適用が異なり,著作権処理の扱いも異なる,という日本の事情が一笑に付された」 (p. 192) という. つまり,「通信と放送の融合」 というのは技術的な課題ではなくて,こういう法制をあるべきすがたになおしていくことだということだろう.
評価: ★★★★☆
関連リンク: 「通信と放送の融合」のこれから@ , 「通信と放送の融合」のこれから@Amazon.co.jp.
池田信夫は日本のテレビドラマやドキュメンタリーは情報がすくなすぎる,ドラマはもっとテンポがはやくなければならないということを書いています. これには首をかしげる点があります. しかし,日本のニュースをかんがえてみると,私自身,とくにニュース番組において 「情報がすくない」 ことを感じてきました.
「放送と通信の融合」 に関する本は何 10 冊かあるが,本書はそのなかでももっとも示唆にとんでいる. テレビの進化をかんがえるうえでコンテンツをどのように発展させていくかをかんがえることが重要なのはいうまでもない. しかし,著者はテレビ局や従来の放送・通信政策におさえつけられていた古典的な意味でのコンテンツ制作者を自由にすることを主張してはいない. むしろ,「次のテレビ」 や 「テレビの次」 として,YouTube やニコニコ動画がしめしているような Web 2.0 的な方向をみている. 「テレビの次」 のビジネスモデルのヒントを Google や楽天にみている. とはいっても,よみおわると,むしろいろいろともやもやした感じがわきあがってくる. むしろ,そのもやもやをそだてていくことが今後のたのしみだとおもえる.
評価: ★★★★☆
関連リンク: テレビ進化論@ , テレビ進化論@Amazon.co.jp.
10 月 9 日の NHK 「クローズアップ現代」 ではノーベル物理学賞を受賞した 3 人のうち日本にいる 2 人 (小林 誠 氏と 益川 敏英 氏) にインタビューしていた. あきらかに物理をしらないひとがインタビュアーとなっていた. これではせっかくのインタビューから魅力的なはなしをひきだすことができないと感じた.
NGN (フレッツ光ネクスト) をいれるときめたとたん,テレビもケーブルテレビからフレッツテレビ + スカパー! e2 にかえてしまった. 名目上のサービス内容としてはケーブルに不満があったわけではないが,実際にはいくつか問題があった.
この本のなかにはしばしば作曲家のなまえも登場してくるが,序章がこの本のテーマの提示部,終章が再現部であり,そのあいだはながい展開部とかんがえることができる. こうしてソナタ形式の音楽のように織りあげられた本のなかで,蓄音機や電話などの音声メディアが,現在かんがえられているのとはちがって,歴史的には 1920〜1930 年以前にはもっとさまざまなやくわりをあたえられてきたことが語られる. それは図式的には線状 (つまり 1 対 1) ないしツリー状 (放送) とはちがって,「複数の声の輻輳的な重なりあい」,あるいはセミラティス状のコミュニケーションだったという. このような主張はカクテルパーティをおもいださせる.
しかし,こういう結論をみちびくために,ときにはいささか短絡的ないし強引な議論もあるようにみえる. たとえば,冒頭では永井荷風が隣人によるおおきなラジオの音になやまされたことが書かれている. それを著者は自然の音と再生された音とを対比させるためにもちだしている. しかし,実はそれは自然の音か再生された音かということではなくて,現代のピアノ殺人などにつながる近隣騒音とおなじなのではないかともおもえる.
評価: ★★★★☆
最近,記者会見などの際にいつもおなじようなパネルが背景にある. 白ともう 1 色からなる 2 色のタイルを交互にならべたパネルだ. 色はそれぞれちがうし,タイルのうえにロゴなどをかさねているが,おおきさもおなじにみえるから,印象はおなじようであり陳腐だ. なぜ,こうなってしまったのだろう.
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