私はつねに趣味と仕事とを一致させようとしてきました. 仕事が趣味からはなれてしまったときは,趣味を仕事にちかづけるように努力してきました. また,逆に仕事が一段落したときには,仕事を自分の興味 (趣味) にちかづけるように努力してきました. それは,ある意味では 「公私混同」 的なやりかたであり,以前はあまりひとにいえるようなことではなかったのですが,最近はややおおげさないいかたをすれば 「私の時代がきた」 と感じています.
私は,こまかくいえばいろいろな分野の研究開発をしてきました. コンパイラ開発,創発的計算の研究,軸づけ検索の研究開発,ネットワークのポリシー管理の研究開発,voiscape (ヴォイスケープ) などなど,全部ここに書くとながくなりすぎるくらいです. しかしそれでも,おおきくいえばコンピュータやネットワークを仕事としてきました. コンピュータに興味をもったのは 「9080 マイコンの製作」 などにも書いたように,大学のときであり,そのときはあきらかに趣味でした. その趣味を仕事にして,趣味と仕事を一致させたわけですが,もちろん,いつもおもったとおりの仕事ができるわけではありません. 会社につとめていれば,自分がおもってもみなかった仕事をしなければならなくなることがあります. 私にとってネットワークの仕事はむしろ,そのようにしてはじまりました. それでもなお,私はつねに趣味と仕事とを一致させようとしてきました.
そういう私のひとつの原体験は,大学 4 年のときのリクルートの冊子 (雑誌?) です. そこには 「仕事は遊びだ」 ということばが書かれていました. それは SRA の求人情報でした. そこに書かれていた内容につよい共感をおぼえた私は,大学院進学を きめていたにもかかわらず,SRA を会社訪問してみました. 大学院修了後は研究職につきたいとかんがえていたので,訪問時に そういったところ,うちでは研究といえることはしていないといわれてがっかりし, ふたたび SRA にいくことはありませんでした. しかし,それでもその後,現在にいたるまで,SRA がやることにはときどき興味をひかれていました.
「趣味と仕事とを一致させようとする」 というようなことは,以前はあまり,ひとにいえるようなことではないようにおもわれました. 趣味は私的なことであり,仕事は (私企業とはいえ) 公的なことですから,それを一致させて境界がはっきりしなくなると,不都合なことがあるのはあきらかでした. しかし,最近出版されたいろいろな本や Web 上の文章を読むにつれて,もっと自信をもってよいのだとおもうようになりました. 「公私混同」 おおいにけっこう,というような論旨の文章にしばしばぶつかるからです (「オフィスワークに関するトレンド」 にもその例をあげています (2007-10-4 追記)). この Web サイトも,そういう 「カオスの淵」(edge of chaos) 的性格をもっています.
2007-10-4 追記:
ascii 2007 年 10 月号では,糸井重里がつぎのようにいっています.
僕は盛んに “公私混同” という言葉を使っています.
公私混同は奨励する. [中略] 公私混同すると,作ったモノに自分が出ますから,モノがつまらないと言われることは “アナタはつまらない” というのと同じです.
2007-11-15 追記:
「5 年たっても示唆に富むインターネット論 ― 鈴木 謙介 著 「暴走するインターネット ― ネット社会に何が起きているか」」 という項目にも書きましたが,この本で鈴木は,遊ぶように働く仕事観のルーツがハッカーにあるといっています.
これは私自身をかんがえても納得がいきます.
いままで意識していなかったが,ハッカーであるがゆえに仕事と遊びをくべつしていないということなのかもしれません.
また,この本ではこういうかんがえかたが現在の若者にあるといっていますが,こういう若者とハッカーとの共通点があるのかどうかは私にはよくわかりません.