テレビ番組のメタデータをつくりつづけているエム・データという会社があるそうですが,視聴者をたのしませてくれるのはこういうまじめなメタデータではなくて,むしろ 「集合知」 的なやりかたでつくられるメタデータなのではないでしょうか?
1980 年代には 「ネクラ」,「ネアカ」 ということばが頻繁につかわれました. 私はどちらもきらいなことばでした. しかし,いま気がつくと,これらのことばはみごとに死語となっています.
本書はおもにインターネットがもたらした変化,とくに言論のフラット化 (匿名でも権威があっても 「何を言ったか」 だけで判断される) と,ウィキペディアなどにおいて意見の集約が困難になっいること,セレンディピティによって人と人とが出会いやすくなったことについてのべている. しかし,それと同時に日本において 2000 年代前半に 「戦後世界」 のわくぐみとそれを象徴する共同体が完全に崩壊した崩壊したことによって人々がばらばらにされたこともフラット化のひとつであり,それが 「出会い系」 へののめりこみを生んでいることも指摘している. このようなネットだけにとらわれないはばひろい視野はまなぶ価値がある.
評価: ★★★★★
関連リンク: フラット革命@ , フラット革命@Amazon.co.jp.
通信にも放送にもリアルタイムのものがありますが,通信と放送とではリアルタイムといってもその意味がちがいます. それらをあわせもつメディアをつくることが通信と放送の融合ということなのではないでしょうか.
このブログには,当初の目的からはずれて,さまざまなことを書くようになりました. おもに,書く訓練,そして思考の鍛錬のためにつかっているということができます. 書く訓練,思考の鍛錬のためには,以前は紙のカードやワープロをつかってきましたが,それにくらべるとブログははるかに画期的な知的生産の道具になっています.
携帯電話では親指だけで入力します. 文字はアルファベットと数字だけでも 36 あるのに,1 本の指しかつかうことができません. もう 1 本の手ではべつのことをしているかもしれませんが,すくなくとも携帯電話をもっている 5 本の指のうち 4 本はあそんでいます. 親指だけでもなれればフルキーボードにちかい速度で (あるいはひとによってはそれよりはやく) 入力できるとはいっても,やはり 4 本ないし 9 本の指があそんでいるのはむだといわざるをえません. 親指ばかりを酷使するので,親指に障害をおこすことも指摘されています (「携帯メールの送り過ぎで世界中に蔓延する親指障害」 (WiredVision)).
「ニコニコ動画 関係者ブログ」 にはいろいろとおもしろい話が書いてありますが,そこにはニコニコ動画やニフニフ動画のようにコメントがつけられる動画サービスの起源が書かれています. それは名古屋大学の長尾研究室でつくられた synvie というサービスだそうです.
「ニコニコ動画 関係者ブログ」 には 「昔話」 としてニコニコ動画の開発とサービス開始のいきさつが書かれています. ニコニコ動画はネットニュースやブログなどでさんざんあつかわれていますが,ほとんどは表面的にとらえるだけにとどまっていて,「昔話」 に書かれているようないきさつや背景などについてはほとんど書かれていません. これは非常に刺激的で貴重な記録だとおもいます. ニコニコ動画はやっぱりスゴイ!
会社の勤務時間がフレックスになってから,ひさしい. いつもつかっているので,かえってその効果はよくわからなくなっていました. ところが,おもわぬ理由で 1 カ月間フレックスをつかわないことになりました. まだフレックスを中止してほんの数日ですが,すでに,その効果がちいさくないことがわかってきました.
最近の日経エレクトロニクスで 「ユーザーの体験」 に関する記述をみて,user experience の訳語としての 「おもてなし」 ということばをおもいだしました. 「おもてなし」 といえば NHK の連続テレビ小説 「どんど晴れ」 のテーマがそれでしたが,このような 「おもてなし」 のこころがいまの機器やシステムの設計に欠けているものなのではないかとおもえます.
ニコニコ動画においては複数のコメントが巧妙なアルゴリズムによって表示され,それが人気のもとになっているとかんがえられます. しかし,そこにはどうも必然性が感じられず,つくりこみすぎているという印象がぬぐえません.
今年前半におこった 「ビデオ・トラフィックが P2P (peer to peer, ピア・ツー・ピア) をぬいた」 という現象を,私の経験・意識とむすびつけて論じてみたいとおもいます.
ブログの機能として,情報発信つまり一方向のコミュニケーション機能と,議論つまり双方向のコミュニケーション機能とがあります. ただ書くだけではどちらの機能も十分にはたすことはできません. どうすればそれらの機能をよりよくはたすことができるか,かんがえてみます.
私のブログのかきかたについて書いてみようとおもいます. 私はブログを 「アイデア・メモ」 としてつかっていますが,ひとにも読んでもらいたいので,推敲したうえ,印刷してみて完成度をたかめています. 参考文献や他の Web ページへのリンクはてきるだけいれるようにしています. また,Movable Type における 「エントリーの内容」 と 「追記」 とのつかいわけについても書きます.
翔泳社刊 「アルファ・ブロガー」 において 山本 一郎 はブログと画像の親和性がひくいことを指摘し,ブログの今後に関して悲観的なみとおしをのべています. この本が出版された 2005 年の時点ではまだそうだったかもしれませんが,いまは事態が変化してきているのではないかとおもいます. そのことについて書いてみます.
最近,自分のブログに関してもっと反応をもらいたいとおもいはじめたことをきっかけに,ながらく,つん読していたこの本をよむことにした. この本では 11 人のアルファ・ブロガーへのインタビューの結果が書かれているが,その意見は,当然のことながら,さまざまである. 読者をつよく意識して書くひともいるし,自分のためのメモというつもりで書くひともいる. しかし,読者を意識しているといっても,新聞や雑誌に書くのとはちがって読者からの直接の反応をきくことができる. まだまとまっていないかんがえを読者にぶつけることもできる. ほかにもさまざまなことが書かれている. 私自身は結局,反応をえるために特別のことをするのではなく,自分のポリシーをつらぬいて待つべきなのだと悟った.
評価: ★★★★☆
関連リンク: アルファブロガー@ , アルファブロガー@Amazon.co.jp, 「ブログと画像の親和性」.
いま,われわれは時代の変曲点,つまり,おおきな変化の時代にさしかかっているようにおもわれます. ここをまがりきると,これまでとはまったくちがった世界がひらけ,あたらしい時代がはじまり,それにともなってあたらしいニーズにもとづくあたらしい技術が必要とされていくようにおもわれます.
著者は元毎日新聞記者であり,現在もフリー・ジャーナリストである. その経験をいかして,記事や提案書などを書くためのインターネットからの情報収集の方法を書いている. その方法はまず,直観的な世界把握 (クオリア) をもとに,必要な情報要素と取材先を縦横にならべたマトリックスをえがいて全体像を把握する. そして,4 種類のインターネット情報源,つまり新聞や雑誌の (有料) 記事データベース,一般のウェブサイト,個人や企業のブログ,2 ちゃんねるなどのネット掲示板をこの順に調査していく. インターネットをつかった調査は拡散的になりがちなので,「ニューロン型」 という方法をすすめている. これは,拡散的な調査法と直線的な調査法とをくみあわせた方法である. そして,調査途中でのいきづまりをセレンディピティ (偶然の出会い) によって克服することについても記述している.
インターネットで情報収集しているひとは,ある程度はここに書かれたのとちかい方法で情報収集しているだろうが,かならずしも著者ほど確立された方法にしたがっているわけではないだろう. おおくのひとにとって,ここからまなべる点はすくなくないものとおもう.
評価: ★★★★☆
たまたま 矢吹 太朗 の 「自分のコードを出力するプログラム」 というページをみつけたのをきっかけに,プログラムと Web ページの自己増殖 (自己再生産または自己複製) について書いてみたいとおもいます. 矢吹のページではいろいろいなプログラミング言語による自己増殖プログラムが紹介されています. Basic (ベーシック) によるものが一番みじかいのですが,あとで書くようにいささか疑問もあります. 私は 1997 年に 「Web ページとプログラムの自己再生産」 という Web ページを書きました. ここでは Web ページの完全または不完全な複製をためせるようになっています.
私は以前,検索結果を整理されたかたちで出力してくれる,軸づけ検索という検索法を研究していました. いったんはテーマ検索 (テーマ年表検索,テーマ地名検索) という名のもとで製品化されたものの,いまはつかえなくなってしまいました. しかし,佐々木 俊尚 の情報収集法に関する最近の本から,私がそこで意図していたことがジャーナリストのニーズにあっていることを知ることができました.
220 ページほどの本のなかでモバゲータウンそのものについて書いた部分は 50 ページほどではあるが,モバゲータウンについての本がわずかしかないなかでは貴重な記録ということができるだろう. 著者はモバゲータウンを試用し,それを運用する DeNA と一部のユーザに取材し,それをこの本に反映させている. しかし,それらのいずれについての記述も中途半端だという印象をまぬがれない. 入門者のためにはモバゲータウンだけでなく周辺の説明も必要だろうが,もうすこしモバゲータウンそのものについてのページをふやして,もっと 「すごさ」 がわかるようにしてほしかった.
評価: ★★☆☆☆
関連リンク: モバゲータウンがすごい理由@ , モバゲータウンがすごい理由@Amazon.co.jp.
Samsung (サムスン) といえば,いまでは韓国がほこる世界の大企業です. 私が最初に買った Samsung の製品は加湿器です. それは 1989 年 (あるいは 1988 年) のことですが,そのころはまだ Samsung の名をほとんど知りませんでした.
本書においては,一般市民がブログを通じてジャーナリズムに参加できるようになったいまジャーナリズムがどうなり,また将来どうあるべきかという点を論じている. 著者のジャーナリストとしてのこれまでの経験,ジャーナリズムがこれからどうなっていくのか,プロのジャーナリストや新聞社はどうするべきなのか,などなど,さまざまな問題があつかわれている. しかし,よみおわってみて,雑然とした印象しかのこらない. 前著 「ネットは新聞を殺すのか」 を出版したあと,著者は 「不完全燃焼のような思いを抱いていた」 とあとがきに書いているが,本書においてもまた不完全燃焼におわっているようにみえる. むずかしい問題が山積しているので,不完全燃焼するのはやむをえないのだろうが,もうすこし明確な主張をもりこんでほしかった.
評価: ★★☆☆☆
関連リンク: ブログがジャーナリズムを変える@ , ブログがジャーナリズムを変える@Amazon.co.jp.
技術中心にブログについてひととおり語っている. 200 ページ強のコンパクトな本のなかに,ブログ誕生の背景から IT 基礎知識,構造,アフィリエイトなどのビジネス,ツールの導入と利用などの話題がつめこまれている. 理科系でないと理解しづらい部分もあるが,それをとばして読んでも価値があるとかんがえられる. ただし,ここには決して 「ブログのすべて」 が書かれているわけではない. たとえば,ここに書かれているカネ (ビジネス) の話におどらされないためには,ほかの本でブログを書く姿勢などについてまなぶ必要があるかもしれない.
評価: ★★★★☆
関連リンク: ブログのすべて@ , ブログのすべて@Amazon.co.jp.
むかしにくらべてテレビがつまらなくなったと,よくいわれます. ほんとうにつまらなくなったのかどうかもよくわからないが,もしつまらなくなったとしたら,その理由はなんでしょうか? アメーバニュースの 「テレビってどーよ? 「つまらなくない!」 と TV マン」 (2007-7-29) には,生放送が減ったからつまらなくなった,“問題の無い” 番組づくりがつまらなくしているという要因が指摘されています.
テレビがつまらなくなった理由については 「テレビがつまらなくなった理由は 「ことなかれ主義」」 という項目でも考察しましたが,「ことなかれ主義」 が理由のすべてというわけではないでしょう. 私はテレビの見方というか見る環境にも原因があるのではないかとおもっています.
冒頭に 2020 年におけるケータイのつかわれかたをえがく 「小説」 が書かれているが,それを読んでいきなり,がっかりさせられた. そこに書いてあることは,研究レベルではいますでにほとんど実現されていることである. まったく夢が感じられない. しかし,著者はつぎのように書いている. 「人間の基本的なライフスタイルや考え方は,半世紀単位でも思ったほど変わっていないように思える. [中略] 今現在の生活者である我々がピンと来ないものは,10 年 ~ 20 年経ったとしても使われることはないのではないだろうか.」 冒頭の小説はこのかんがえにもとづいて書かれたということだろう. 通信インフラとして出発し i モードによって IT インフラとなったケータイだが,現在すでに,おさいふケータイがだいぶ普及し,つぎのステップはそれを 「生活インフラ」 にすることだという. 日本ではまだクレジット・カードが普及していないというところに目をつけて,それをケータイのうえで実現しようという戦略はしたたかなものである.
本書でおもしろいところは,第 3 章におけるテレコム業界批判である. 顧客ではなく 「業界のため」 を第 1 にかんがえる体質やをするどく批判し,それにたちむかったことで i モードを成功させたと自負している. また,WAP (ケータイ Web 標準) に関して,標準化会議における日本人の影の薄さを指摘している. また,技術の優位性こそすべてという 「技術単独信奉」 を批判し,FOMA においてそれが成果をあげたことをのべている. ほかにもおもしろい内容がふくまれているが,ここまでにしておこう.
評価: ★★★★☆
関連リンク: ケータイの未来@ , ケータイの未来@Amazon.co.jp.
ブログの本は多数あるが,文章のかきかたについての本はほとんどない. したがって,本書は希少なものだといえる. とはいっても,本書ではブログの文章を特別なものとかんがえているわけではなく,まずコラムとエッセイに分類し,エッセイのかきかたとして 「枕草子」,「方丈記」,「徒然草」 という 3 つのコースからえらぶことをすすめている. 非常に古典的な分類だといってよいだろう. しかし,文章法について書いているにしては文章構成について書いてないのが弱点である. 後半はブログの内容を出版することからはじまり,小説のかきかたまで書かれている.
全体をとおしてみると,中途半端だという印象がぬぐえない. エッセイはともかくコラムはどう書けばよいのかもよく書いてない. 著者は小説家なので小説へのおもいいれが書かれているが,ブログをもとにしてどうやって小説が書けるのかもわからない. 著者の文章とくに小説に関する古典的なかんがえかたとブログというあたらしいスタイルとのミスマッチを解くことができない.
評価: ★★★☆☆
書店でみたら,私だったら手にとるのをためらってしまいそうなカバーがついている. また 「ブログ魂」 という,読んでもなお理由のわからない書名がついている. しかし,内容はすばらしい. 本書ではつぎのようにブログに 2 種類の分類をあたえている.
A: Q & A 系,B: ホームページ系,C: 掲示板系,D: 日記系
1: 情報系,2: 共感系,3: エンタメ系
自分のブログがどれにあたるかをかんがえれば,これからどうすればよいかもみえてくるというわけである.
本書でもっとも価値があるのは,どうすればブログをもっと読んでもらえるか,コメントがもらえるか,トラックバックをどう利用したらよいか,他のブロガーとつながることができるか,などに関する記述である. これらについては類書にないくらいさまざまな内容が書かれている. たとえば,タイトルひとつにしても,10 種類に分類して論じている. 読んでもらうためには投稿する時間までかんがえたほうがよいと書いている. 他のブロガーとのつながりに関しては,「ブログ・コネクター」 になること,「ハブ・ブログ」 とつながることをすすめている. ほかにもさまざまなことが書かれている.
最近ブログに関する本をあつめていろいろ読んだが,この本が一番,私が知りたかったことにこたえてくれた.
評価: ★★★★★
関連リンク: ブログ魂@ , ブログ魂@Amazon.co.jp.
1 ~ 2 年まえに時計機能がついたタイマーを 800 円くらいで買いました (いまも買うことができますが,あえて店のなまえはふせておきましょう). ふつうのタイマーとしてつかう分には問題ないのですが,2 個のタイマーを両方つかおうとか,時計機能をつかおうとおもうと,破綻してしまいます.
きょう (2007 年 10 月 17 日) の NHK のためしてガッテン 「大満足!動物園サプライズ体験術」 では動物との “会話” をたのしむ方法が紹介されていました. これまで動物園は情報のながれが一方向だとおもってきたので,これは 「目からウロコ」 でした.
ニコニコ動画のような映像へのコメントづけの可能性をいろいろ,かんがえようとしています. ひとつの可能性として,映像をたのしむコツのようなものをコメントとして書くことがかんがえられるのではないかとおもいます.
長編映画の全編に字幕をつけるのはたいへんな作業であり,しろうとにできるものではありません. しかし,その一部や,ショートショートのようなものにすきな字幕をつけることは,趣味的にやるのに適しているのではないでしょうか? もうすでにニコニコ動画ではこれにちかいことがおこっているとはおもいますが,あらためて書いてみます.
会社からのかえりに,中野駅でおりるべきところを新宿までのりすごしてしまうことがたまにあります. 本を読むのに集中していて,おりそこなうのですが,どこかの駅についたということに気がつかないわけではありません. にもかかわらずおりそこなうのは,中野駅に個性がたりないからだとおもいます.
「駅の没個性 ― 中央線のばあい」 という項目で中央線の駅に個性がないことを書きました. 地下鉄丸ノ内線に関してはかつてはもっと個性があったとおもうのですが,最近とくに没個性化しているようにおもいます.
わが家の照明については 「建築としての自宅で一番,きにいっている階段室」 や 「わが家のリビングの蛍光灯ダウンライト」 という項目でも書きました. 基本的に電球色の蛍光管を使用し,照度はひくめにしてありますが,それには理由があります. 安眠をえるためには昼光色のような刺激的な (色温度のたかい) 色やあかるすぎる照明はさけるべきだとかんがえました.
地下鉄丸ノ内線の中野新橋の駅は,この地下鉄が開通したときとほとんどかわっていません. この駅の特異なところは,通常は地下鉄の駅の地上部分はせまいのに対して,ひろい平屋建ての駅舎をもっているところだとおもいます.
John Adams (ジョン・アダムス) は私が 1980 年代にはじめて出会った,かずすくない作曲家のうちのひとりです. 当時,日本ではまだほとんど知られていませんでした. いまは CD も入手しやすくなっているとおもいますが,まだよく知られているとまではいえないでしょう. ここでは Adams のいくつかの作品とそのおもいでを書いてみたいとおもいます.
YouTube (ユーチューブ) に,グラフィック・スコアつきで,いくつかの Xénakis (クセナキス) の作品が投稿されています. 画面にはスコアにおける演奏位置が赤い線で表示されます. あまり映像を有効につかったものとはいえませんし,解像度がひくくてスコアはよみとれませんが,Xénakis の音楽のつくりがよくわかります.
YouTube (ユーチューブ) にある Xénakis (クセナキス) の音楽を楽譜とともにきかせるビデオについては 「Xénakis の音楽を楽譜とともにきかせる ― YouTube にて」 という項目で書きました. おなじようにして Ligeti (リゲティ) の音楽をきかせるビデオもありますが,グラフィック・スコアのおもしろさからいくと,こちらのほうがうえです.
Naxos (ナクソス) は日本人作曲家をふくむおおくの現代曲の CD 化をすすめています. CD の時代はおわろうとしているようにもみえますが,そのなかで Naxos の仕事はひかっています. Naxos の American Classics のシリーズのなかに John Adams (ジョン・アダムス) のピアノ曲全集 (Naxos 8.559285) が今年くわえられています. この CD には Phrygian Gates (1977-78), American Berserk (2001), China Gates (1977), Hallelujah Junction (1996) の 4 曲がおさめられています. 最初の 3 曲はソロ,最後の 1 曲は 2 人のピアニストによる曲です. とくに最後の曲におけるピアノのかけあいがすばらしいとおもいます.
Naxos (ナクソス) 8.557522 に Arnold Schoenberg (アーノルド・シェーンベルク) の 12 音技法による 2 つの作品,セレナードとオーケストラの変奏曲とがおさめられています. 指揮をしている Robert Craft (ロバート・クラフト) はシェーンベルクの弟子であり,私がシェーンベルクの音楽を最初にきくきっかけになったシェーンベルク全集の大半の合奏曲を指揮しています.
最近,家電量販店などで,しばしば消費者がリサイクル費用をはらって回収された家電品がリサイクルされずに横流しされていることが問題視されています. 不当にもうけたのだとすればどこかに問題があるとはおもいますが,リサイクルつまり廃棄するよりそのまま使用できるものなら使用したほうがエコロジー的にはよいはずです. それが問題とされてしまうことじたいに,どこかおかしな点があるのではないでしょうか?
この本はひどく評判がわるい. 「ゲーム脳の恐怖」 というタイトルからして,拒否反応がでるのはもっともなことだとおもう. 実際,著者はもともと 「ゲームは脳にわるい」 という仮説 (あるいはおもいこみ) をもっていて,それを証明するために実験をかさねてきたのだとおもわれる. しかし,論理に不完全な点があったり,おもいこみにもとづいて書かれた部分があるのはこの本にかぎったことではない. この本を冷静に読めば,著者がそんなにバランスを欠いた主張をしているわけではないことがわかる. ゲームをするときはからだの非常にかぎられた部分しかつかわない. そうした状態をつづけるのでなく,お手玉などのようにもっとからだ全体をつかうあそびをしたほうがよいという主張はもっともなものだとおもう. 冷静に読めば,えるところのある本だとおもう.
評価: ★★★☆☆
関連リンク: ゲーム脳の恐怖@ , ゲーム脳の恐怖@Amazon.co.jp.
電車から駅におりたときなど,出口につながる階段とエスカレーターとがならんでいると,階段はあいているのにエスカレーターにはながい列ができていることがしばしばです. なぜこうまでしてエスカレーターにのりたがるのでしょうか? わたしには理解できません. しかも,エスカレーターをあるくことは危険で禁止されているということなのです (2007-10-31 追記).
本書は環境問題に関して,まちがった知識が流通していること,それがマスコミによって流通させられていること (とくに朝日新聞のなまえが複数回あらわれている) を指摘している. そして,われわれがどういう論理にだまされているのかをしめしている. ダイオキシンは猛毒だとか,温暖化によって北極と南極の氷がとけて海水面が上昇するというウソには私もダマされていた. マスコミがウソをながさないようにすることがまず必要だが,それにだまされないようにするためのヒントをあたえてくれている. とはいえ,だまされないようにすることは,そんなに容易ではない.
評価: ★★★★☆
これまでこのブログはコメントを即座に公開していませんでした. きょう,これをあらためて,即座に公開するようにしました.
PS3 に関する WiredVision の 2 つのニュースがおもしろい. これらは PS3 (プレイステーション 3) をスパコン的な用途でつかったものであり,PS3 が搭載している Cell プロセッサの強力さを証明しています. PS3 はゲームにつかうより数値計算につかったほうがよいということでしょう.
Documents というレーベルによる Great Conductors という 10 枚セットの CD を買いました. そのなかの 1 枚として, フルトヴェングラーによるモーツァルトのピアノ協奏曲 20 番とベートーベンの交響曲第 6 番がはいった CD があります. これらをきょう,きいたので,それについて書いてみます.
私は,以前はいろいろ本を読んでもその内容をすぐわすれてしまうことがおおかったようにおもいます. しかし,最近はとくに印象的な本を中心として “書評” をブログに書き,それを Amazon (アマゾン) と BK1 (ビーケーワン) にものせています. こうすることで,ある程度記憶が定着するし,わすれたときには自分が書いた “書評” をみればさらにおもいだします. つまり,Web / ブログ を利用して読書を活性化しているわけです.
ブログの記事を書いたとき,書いたものがひとからどういうふうにみえるのか,すぐにたしかめたくなります. たしかめるためにはその記事を公開する必要があります. しかし,公開するタイミングで RSS が機能し,ブログ検索エンジンなどに ping がおくられるようになっています. すると,公開したあとにその記事を推敲する,つまり修正をいれることになります. RSS は公開時に記事を配信するので,修正前の記事が配信されることになります. ちょうどよいタイミングで配信するにはどうしたらよいのでしょうか?
「Windows Vista 用ベアボーン PC の導入」 という項目に書いたように Windows Vista (ウィンドウズ・ビスタ,ウィンドウズ・ヴィスタ) 用のマシンを買って,Windows Aero (ウィンドウズ・エアロ) が動作するように Radeon X1050 というグラフィクス・カードを買いました. これでなんとか Windows Aero がうごくようにはなりましたが,どうもまだいろいろ問題があるようです.
著者は 「グーグル」 (文春新書) という本などで Google のすごさを指摘してきた. 本書でも商品検索において Google が楽天などの顧客をうばってしまう可能性を指摘している. しかし,本書ではむしろ Google の支配にほころびがみえること,すなわちその信頼性がゆらぎ,グーグルラボから先進的なサービス,Web 2.0 的なサービスがうまれにくくなっていることなどを指摘している. そして,あたらしいサービスの可能性を,Google モデルが適用できない YouTube,ニコニコ市場,Twitter などにみている. これらで実現されている会話と独白がいりまじった非同期的なコミュニケーションが支持されていて,それをビジネスにすることができた企業がつぎの覇者になるという.
この種の本では現在のコミュニケーション・スタイルや現在の覇者を未来に延長しようとしていることがおおいが,本書ではもっとさきをみようとしている. 刺激的な本である.
評価: ★★★★☆
関連リンク: ネット未来地図@ , ネット未来地図@Amazon.co.jp.
山一証券以来,不正をおこなった企業が政府機関の処分をうけて倒産・破産する事件がつづいています. もうだいぶまえのことりなりますが,ライブドアと村上ファンドはだれの記憶にものこっているでしょう. 最近ではコムスンや NOVA (ノヴァ,ノバ) があります. これらの企業のなかには行政処分の内容によっては事業撤退をまぬがれたケースもあるのではないでしょうか. 処分によってその企業だけでなく顧客までおおきな影響をうけていますが,顧客である国民までまきこむ,きびしすぎる処分がおこなわれているようにおもわれてなりません.
私が自分でドメイン名をもっていること,自分で Web に書く情報はできるだけそこにあつめようとしていることについて書きます. これは以前,クラッキングにあったことがきっかけで,私が Rimnet (リムネット) にあった自分のホームページをうしなったこととも関係しています.
武田 邦彦 は 「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」 という本にひきつづき,「環境問題はなぜウソがまかり通るのか 2」 という本でもペットボトルのリサイクルの問題点を指摘しています. リサイクルは環境負荷をかえってたかくするので,ペットボトルを 5 回つめかえてつかうことをすすめています. 回数を意識したことはありませんが,ペットボトルをくりかえしつかうのは私が実践してきたことでもあります. また,私はふだんはなるべくペットボトルの飲料を買わないようにして,かわりに紙パックの飲料を買うようにしています.
あまりタイムリーな話題ではないのですが,武田 邦彦 著 「環境問題はなぜウソがまかり通るのか 2」 という本にクールビズの問題点が指摘されているのを読んだのをきっかけに,私のクールビズについてのかんがえを書いておこうとおもいます.
前著にひきつづいて,温暖化問題のウソや,バイオ燃料をつくるのにそれ以上の石油がいること,ペットボトルなどのリサイクルがかえって環境負荷をたかめたり問題をおこしたりすることなどを指摘している. リサイクルをやめてプラスティック廃棄物も焼却するほうがよいと主張しているが,それは結局,対策としてはゴミをへらすしかなく,ものを愛用するつまりだいじにつかうべきだということになる. たとえば,ペットボトルを 5 回くりかえしてつかうことをすすめている. 環境問題にはそんなにウマい手はなく,政府などによってマヒさせられている常識をちゃんとはたらかせることが必要だということだろう.
評価: ★★★★☆
関連リンク: 環境問題はなぜウソがまかり通るのか 2 @ , 環境問題はなぜウソがまかり通るのか 2 @Amazon.co.jp.
Web をあまりつかわないひとにはもちろん,つかっているひとでも Web 上でおこっていることの全体像はみえにくい. 「炎上」 という現象についても,炎上しているところにぶつかることはあるとしても,その原因や過程をおいかけることは,ふつうの Web ユーザにはなかなかできないだろう. 著者はそういうひとたちにもわかるように,炎上やサイバーカスケードや他のさまざまな現象を分析してみせるだけでなく,この世界の用語をゴシック体にしてめだつように本書のなかにちりばめて教養主義的に解説している. これまでモヤモヤとしかわかっていなかった Web 上の現象が,本書を読めばもっとはっきりわかるようになるだろう.
評価: ★★★★☆
関連リンク: ウェブ炎上@ , ウェブ炎上@Amazon.co.jp.
環境問題に関する議論にはウソがおおいという. 同様の趣旨の本として 武田 邦彦 の 「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」 (1, 2) がある. 本書では地球温暖化問題,ダイオキシン問題,外来種問題,自然保護の 4 点がとりあげられていて,そのうち最初の 2 つは前記書とかさなっている. ウソをあばいて読者がだまされないようにするのはたしかに重要なことだが,本書では現在主流の論点がくずされたあと,かわりにどうしたらよいのかがほとんどわからない. 最初の 2 つの問題に関しては前記書のほうがもうすこし建設的な議論をしているようにおもう.
評価: ★★★☆☆
関連リンク: 環境問題のウソ@ , 環境問題のウソ@Amazon.co.jp.
この小説のでだしでは,つよく非日常性をもとめる涼宮ハルヒと退屈な日常とのコントラストがうまく発展していくことを期待した. しかし,その後あまりに急速に非日常性が拡大していきながら,キョンや朝比奈はあいかわらず “ふつう” にえがかれていることに,私はついていけなくなった. 日常性と非日常性との関係がもうすこし,ていねいにえがかれていれば,私にとってももっと迫力があったとおもう.
評価: ★★★☆☆
関連リンク: 涼宮ハルヒの憂鬱@ , 涼宮ハルヒの憂鬱@Amazon.co.jp.
「フルトヴェングラーによるモーツァルトのピアノ協奏曲 20 番と田園交響曲」 という項目に書いたのとおなじ “Great Conductors” という 10 枚組の CD のなかにアンチェル指揮によるスメタナ 「売られた花嫁」 序曲,ドボルザーク 「新世界から」,ムソルグスキー 「展覧会の絵」 の 3 曲がはいった CD があります. アンチェル - チェコフィル によるスメタナとドボルザークというのは魅力的なくみあわせですが,その期待にこたえてくれます.
Amazon.com (アマゾン・ドット・コム) はロングテールによって利益をあげている Web 2.0 の代表選手とみなされています. そして,このロングテールはいまでは Amazon がもつ巨大な物流倉庫にささえられています. しかし,もともとの Amazon はこんな巨大資本にたよるやりかたをしていませんでした. そして,いまでも古書に関しては Amazon の出発点にちかいやりかたをとっています.
すでに何回かブログに書いている “Great Conductors” という 10 枚組の CD のなかにある Vladimir Delman (ウラディミール・デルマン) による Bruckner (ブルックナー) の交響曲第 9 番をききました. デルマンというなまえはこれまで知らなかったのですが,ちょっとおもしろい演奏です.