アメリカ人であり弁護士である著者による裁判員制度と日本の政治や法律の批判の書である.
第 1 章においては,日本の法律や政治の非民主性が徹底的に批判されている.
日本の法律が国民のためでなく役所のためのものだということがつぎのような論理で説明されている.
「ある法律が誰のためにあるのかを知るには,その法律が誰の自由を制限し,誰に裁量の余地を残しているかが重要なヒントになると思う」.
日本の法律は曖昧でグレーだが,それは役所や警察が介入したり介入しなかったり,自由にふるまえるようになっていて,かつ市民がクレームをつけることが難しくなっているのだという.
「人権」 や 「三権分立」 に関するかんがえかた,刑事事件における自白の重視や個人情報保護法からウィニー事件やコンピュータウィルス作成者が逮捕された事件までも,こういう視点で痛烈に批判されている.
これを読むと,日本はここまで非民主的な国だったのかとおもわされてしまうが,著者は 「多少大げさかつ簡単に書いてきた」 とことわってもいる.
第 2 章では陪審制度とはどういうものか,裁判員制度とはどうちがうかが説明されている.
ここは比較的淡々と書かれている.
第 3 章はいよいよ著者による裁判員制度の解釈とそれへの痛烈な批判が展開されている.
著者によれば裁判員制度は 「裁判を十分理解していない国民がいけない」 ことが前提になっている.
法律の専門家は裁判員にはなれないことになっているので,深い法律知識がないことが裁判員になる条件であって,そういう国民のために 「分かりやすい事件」 だけを対象にしているという.
裁判員には守秘義務があり,それは裁判員をまもるためだと説明されているが,裁判官と裁判所が秘密の範囲を勝手にきめることができ,裁判官がなにをしても外部にもらされないようにするという,裁判官をまもり,裁判所に対する批判をなくすためのしくみだという.
しかし,それだけ痛烈に批判しながらも,著者は 「裁判員制度に反対しているわけではない. むしろ,うまく機能してほしい」 と書いている.
これまで裁判官には被告人を有罪にしなければならないという圧力がかかる結果として 99% の裁判で有罪判決がいいわたされて冤罪がおおくなっていたが,「裁判員制度のおかげで,被告人を無罪にしても [中略] 裁判員たちがどうしても,ということだったので」 ということで無罪にすることができるようになるかもしれないという.
私もこれで,裁判員制度によって冤罪が減ることが期待できるとおもった.
著者はまた裁判員になることを 「義務」 ではなく 「権利」 とかんがえようと提案している.
この本は裁判員制度の解説書とはいえないので,それが 「どういうつもりで」 つくられたのかは,あらかじめ知っておく必要があるだろう.
そのうえで読めば,解説書や日本人が書いた裁判員制度の批判とはまったくちがう視点をあたえてくれて,目からウロコというおもいをいだかせる.
いろいろ裁判員制度やその周辺の法律の本を読んできたが,この本が一番のオススメである.
評価: ★★★★★
関連リンク:
アメリカ人弁護士が見た裁判員制度@
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