裁判の判決においては結論としての主文とあわせてその結論がみちびかれた理由を記述することになっている. しかし,その理由が理由になっていないことがおおいという [Ino 08]. この問題を裁判官自身の努力によって解決することも不可能ではないだろうが,せっかく導入される裁判員制度をうまくつかうことで,よりよく解決することができるのではないだろうか.
佐伯 千仭 は 1942 年当時,「罪となるべき事実のどの部分をどの証拠のどの部分によって認定したのかということが後でそれを読む者にもはっきり判るようなやり方でなされる必要が」 あると主張した [Ish 07] という. このような理由の明確化は判決を理解するためだけでなく,上訴する際にその弱点をつく必要があることからも重要である. しかし,現在のところ,それは実現されていない. その結果,判決の理由欄にはきちんと理由が記述されるようにはなっていない.
裁判官は容易に文章化できないような思考法すなわちスキルあるいはアート [Kit 08] によって判決をみちびきだしているのではないだろうか. スポーツなどにおけるスキルと同様に,スキルをいったん身につけてしまうと,それにもとづく行動をうまく説明できなくなるのではないかとかんがえられる. 判決にきちんと理由が書かれないのは,裁判にそうした面があるからなのではないだろうか.
そこで,これまではっきりと書かれずにきた判決の理由を目にみえるかたちにするのが裁判員の重要なやくわりのひとつになるのではないかとおもう. つまり,「システマティックな情報分析法・思考法と裁判員制度」 という項目に書いたように,裁判員がスキルのなさをおぎなうためにはシステマティックな分析法をとりいれる必要があるとかんがえられる. 裁判員制度においては裁判官と裁判員が合議をおこなうが,そこで裁判員が劣位にたたないためには,裁判官に対抗できるなにかが必要である. システマティックな分析法がそのためにやくだつのではないかとかんがえている (詳細は上記の項目を参照).
陪審制においては裁判員が劣位にたたないように,裁判官との合議をおこなわずに結論をだすようにしている. しかし,ほんとうにそれがよい方法なのかどうか,疑問がある. 裁判員に武器をあたえて合議をおこなうことによって,より,みのりのある結果が期待できるのではないだろうか.
スキルにもとづく分析をおこなうかわりにシステマティックな分析をおこなうとすると,膨大な時間がかかる可能性がある. それをさけるには単純化をはかる必要があり,すべての事実を考慮するのはむずかしくなるだろう. しかしその一方で,分析によって結論をみちびく過程を視覚化し文書化することができるであろう.
ところが,現在の裁判員制度においてはこのような文書は裁判官が記述する判決の一部とはなりえないし,したがって公開されることはない. しかし,それをなんらかの方法で公開することによって,判決のわかりにくさを改善することができるとかんがえられる. また,あわせて,判決を書く裁判官が裁判員の努力を水の泡にしてしまうこともさけられるであろう.
注: 写真は釧路の裁判所のページ (裁判員制度模擬裁判) から借用した被告人質問のシーンです.
関連項目
井上 薫 の著書への書評
- 独善的で説得力のない議論 ― 井上 薫 著 「司法は腐り人権滅ぶ」 ★☆☆☆☆
- 裁判員制度ではなく米国の冤罪事件や犯罪捜査・裁判についての本 ― 井上 薫 著 「誤判を生まない裁判員制度への課題 ― アメリカ刑事司法改革からの提言」 ★★★☆☆
- 国民はバカだから裁判など担当させられないという主張 ― 井上 薫 著 「つぶせ!裁判員制度」 ★★☆☆☆
- 重箱の隅をつつく誇張された議論 ― 井上 薫 著 「最高裁が法を犯している!」 ★★☆☆☆
- 痴漢事件における裁判官のひどさが中心 ― 井上 薫 著 「痴漢冤罪の恐怖 ― 「疑わしきは有罪」 なのか?」 ★★★☆☆
参考文献
- [Ino 08] 井上 薫 著 「最高裁が法を犯している!」, 洋泉社, 2008.
- [Ish 07] 石松 竹雄, 土屋 公献, 伊佐 千尋 著 「えん罪を生む裁判員制度 ― 陪審裁判の復活に向けて」, 現代人文社, 2007.
- [Kit 08] 北岡 元,「仕事に役立つインテリジェンス」, PHP 新書, 2008.